かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:チェルニー 48の前奏曲とフーガ2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、チェルニーの48の前奏曲とフーガを取り上げていますが、今回はその第2回目です。

後半の24曲では、さらにチェルニーらしさが前面に出ているように思います。チェルニーらしさというよりは、その時代らしさ、というべきなのだと思います。バッハ風のフーガがあると思いきや、前奏曲ではむしろ当時のピアノ・ヴィルトォーソたちを念頭に置いた音形や和声など、バッハとは違った部分が確実に見えるのです。

これを弟子リストに献呈したというのですから・・・・・・リストのピアノ曲が、多岐にわたっているのは、こういった先生の影響なのかもしれません。

www.camerata.co.jp

上記の、この元音源であるカメラータの記述を見ていると、本当にチェルニーのこの作品はまさに「当ディスクをプレーヤーに乗せ、その音を蘇らせた瞬間、この曲集がもはや単なる練習曲などではなく、唯一無二の性格を具えた卓越したピアノ曲であることがすぐに分かる」なあと思います。なぜ今でもピアノ練習曲と言えばチェルニーなのか、この決して練習曲ではない作品を聴けば、ピアノを弾いていなくても容易にわかります。

おそらく、弾いている神谷女史も、ピアノに出会った頃、練習していたのはチェルニーの練習曲であったはずなんです。そんな懐かしさと同時に、こんな作品もあったのか!という驚きと共感が、演奏からは見えてくるのは前半同様です。とにかく弾きました!という感じではなく、慈しみながら弾いているという印象しか受けません。

世界初演というプレッシャーも特になく、のびのび弾いている感じを受けるのもまた好印象。日本人に新しいチェルニー像を与えるのに十分な、素晴らしい演奏だと思います。これに続く、さらにはっちゃけた演奏を期待します!それはおそらく、神谷女史の「年代」では難しいと思うので、そこまで批判はしません。けれども、歌う演奏ができるのなら、もっとダイナミックな演奏も可能なのではないかと、聴衆である私は思うのです。それが、チェルニーのこの作品をもっと知らしめるのにとても役に立つのではないかと思っています。

 


聴いている音源
48の前奏曲とフーガ作品856
神谷郁代(ピアノ)

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