かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集2

今月のお買いもの、令和2(2020)年5月に購入したものをご紹介しています。ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の第2回目です。

ハイレゾですから音がクリアなのも素晴らしいのですが、そんな美しい音の中にちりばめる、サイの自在な表現は、今回取り上げる第4番から第6番にかけてますますヒートアップしていきます。

クリアというよりは、その場の空気を再現しようとしているハイレゾという音質で、とにかく「ありのままの自分」を表現しているように思います。こういう点がサイの素晴らしい点だと思います。

第4番に関しては、第1楽章でまるで打楽器のようにピアノを使うのが印象的。もちろん、そういう音形はモーツァルトも使っている部分もありますが、特にピアノが「弦を叩く楽器」という点を念頭に置いて作曲したのはベートーヴェンが初めてではないかと思いますし、その代表的な作品が第4番だと言ってもいいのかもしれません。

そんなことを念頭にサイが置いたのかはわかりませんが、置いたでしょ?と突っ込みたくなる演奏なのです。それはチャチャを入れるというよりは、粋ですねえっていう感じの意味で、です。そういう対話がこの全集は楽しいのです。

対話ができる全集は少ないと思います。つまり、対話ができる演奏ということになりますが・・・・・本当に少ない。これを聴け!という演奏は結構ありますが・・・・・いや、それが嫌なわけではないんです。けれども、対話ができる演奏は数少ないんです。

もちろん、それは基本的に一方通行ですので、正確に言えば対話などしていません。しかし、質問を投げかけることはできます。もちろんその質問で明確な返答が返ってくるわけではありません。しかし、内なる自分と「これはどう感じる?」と対話していると、演奏が答えてくれることはあります。サイの演奏はそんな返答の一つです。

第1番から第3番までの、少しだけ肩に力が入った感じではなく、肩の力が抜けて、自在に弾き始めた感じが強く、さすがのサイという才能もベートーヴェンという巨人に立ち向かうときにひるんでいた、ということになります。それはそれで人間らしくて、私は好きです。

ハイレゾだからこそ、近くにいるように感じますけれど、だからと言って答えてくれるわけではありません。実際にそこにいるわけではないですから。しかし、「こんなことを言っているかもなあ」という想像はできます。そんな想像をするのがとても楽しい全集なんです。いやあ、これはサイの才能か?それともハイレゾという技術のなせる技か?

どちらかはわかりませんが、少なくともサイが楽譜から得た情報を自分のフィルターを通して鍵盤に伝えていることは確かだと思います。そこには明確に、演奏者の意思が込められていると感じるのです。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調作品7
ピアノ・ソナタ第5番ハ短調作品10-1
ピアノ・ソナタ第6番ヘ長調作品10-2
ファジル・サイ(ピアノ)
(Warner Classics)

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