かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~イッセルシュテットとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集3

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズで取り上げているイッセルシュテットウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集の今回は第3集をとりあげます。

第3集には、第4番と第5番が収録されています。第4番と言えば、クライバーの熱烈でアグレッシヴな演奏が名演として語り継がれますが、このイッセルシュテットのは、第3番とは打って変わって、第4番はどっしり系。アグレッシヴよりも、古典美をひたすら追求した演奏です。

しかし、それがなぜか気にならない。もちろん、ほかにアグレッシヴな演奏はあり、第1楽章に関しては実はそのほかのほうが好みです。しかしながら、だからと言ってこの演奏を否定する気にもなれないんです。ところどころ実は細かいアグレッシヴな演奏があり、それが意外と心地いい~

その意味で、不思議な演奏であり、その意味で実に魅力的な演奏です。そのどっしりさは、続く第5番では実に最大限の魅力となっています。

第5番は不思議な曲で、アグレッシヴな部分もあるほうがいいかと思いきや、そうでもないのが第5番です。エピソードから名づけられた「運命」という日本の標題。実際に運命的な和声とストーリーを持ちますが、第5番に関しては、どっしり系のほうが実に運命にあらがう人間を表現するに適していると思います。

自分にとっての「運命」が到来したとき、どのような状態になるのか・・・・・それを考えたとき、私の中では激しい嵐だけではなく、もっと苦悩もあるはずだ、と気づいたこともあります。最初に出会った頃は無批判にどっしりとしたほうがいいと思い、次にアグレッシヴな演奏に移り、「好きな演奏を探す旅」が始まりましたが、今の到達点は「どっちでもいい、よければ」です。

このイッセルシュテットウィーン・フィルの、激しいながらもどっしりとした、まるで覚悟を決めて運命に立ち向かう人間が描かれているような演奏は、それがドラマティックさというよりも、自分にとって共感となって表れていると思うようになりました。もちろん、いまだにアグレッシヴな演奏は大好きです。しかしながらそれだけではない、もっと複雑なものを表現する方法として、どっしりとしたテンポという選択もあるんだと気付いたのです。

自分自身の、このブログを始めてからの道筋をふり返ってみても、決して平たんではなく、山あり谷ありで、しかもその谷は下手すれば一度落ちてしまったら這い上がってこれないかもしれないくらいの深い谷でした。それを多くの人の手を借りて、再び這い上がってきました。その経験をふり返りますと、このイッセルシュテットウィーン・フィルサウンドは、どこかで涙すらしそうな演奏です。

ようやく、アグレッシヴならアグレッシヴなりの、どっしりならどっしりなりの、いい演奏があるはずだと気付けたように思います。それは自分自身が、ひとつ成長したといえる部分なのかな、と思っています。

今後、プロアマ含めて、コンサートがどんどん再開していったときに、オケがどんな第4番や第5番を聴かせてくれるんだろうかと思っています。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第4番変ロ長調作品60
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。