かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ロッシーニ 弦楽のためのソナタ2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ロッシーニの弦楽のためのソナタを収録したアルバムをご紹介していますが、今回はその第2集をとりあげます。

所謂2枚組の2枚目ですが、第6番と、ボッデジーニの「グランド・ドゥオ・コンチェルタント」、そしてメンデルスゾーンの八重奏曲が収録されています。

ボッデジーニとメンデルスゾーンカップリングの扱いですが、この第2集においてはむしろメインですw演奏時間は収録時間の4分の3を占めています。

ロッシーニの弦楽のためのソナタ第6番はかなり古風な作品で、どことなくモーツァルトの香りすらします。けれどもロッシーニはどの時代の作曲家だと学校で習うでしょうか?前期ロマン派ですよね~。けれども本当にモーツァルト的な、古典派かと思う作品なのです。6曲が完成したのは1804年。確かに古典派の時代ではありますが、ロッシーニベートーヴェンより20歳ほど年下だと、前回述べたかと思います。なのに、なんです。

ここに、前期ロマン派という音楽運動がどういうものかの、端的な証拠があると私は思います。つまり、古典派の頂上であり巨人であるベートーヴェンではなく、少し以前となるモーツァルト的な音楽を、自分たちの意思の表明として作り出す・・・・・私はそのように解釈しています。その後、後期ロマン派まで至ることで、ベートーヴェンなのかモーツァルトなのかはようやく問題ではならなくなった・・・・・そう考えるのが自然だと思っています。

ボッデジーニはコントラバスという楽器を巧みに表現として使う作品を数多く書いた作曲家ですが、収録されている「グランド・ドゥオ・コンチェルタント」もそういった作品の一つです。ドゥオの一つがコントラバスです。これもどちらかと言えばモーツァルト的な雰囲気を持つもの。

そして最後のメンデルスゾーンはもう有名すぎる作品。四重奏を2倍して八重奏曲というものですが、メンデルスゾーンの先進性は、前期ロマン派運動のモーツァルト的というものを乗り越える音楽であると私は考えます。一見すれば保守的な音楽ですが、それは現在の私たちが聴けば、です。当時としては非モーツァルト的で和声転調などはベートーヴェン的であるが、しかしモーツァルトでもベートーヴェンでもない音楽がそこにはあります。

これらの音楽を演奏するのがイ・ムジチですが、このアルバムはロッシーニの弦楽のためのソナタを弦楽セレナーデとして扱っていると前回書きました。この第2集ではその方針が色濃く出ています。そもそも、ボッデジーニは弦楽との協奏曲ですし、メンデルスゾーンは事実上の弦楽セレナーデ。室内オケだからこそ、3つの作品の個性や内面性が引き立つように感じるのはわたしだけなのでしょうか?生き生きとした生命力と前進力、そして溌溂さ!新型コロナウイルスでどうしても内向きなりがちな私に、生きる勇気を与えてくれます。それはおそらく、演奏しているイ・ムジチの団員たちが、喜びをもって演奏しているからに相違ないと思っています。

 


聴いている音源
ジョアッキーノ・ロッシーニ作曲
弦楽のためのソナタ
第6番ニ長調
ジョヴァンニ・ボッテジーニ作曲
グランド・ドゥオ・コンチェルタント(ヴァイオリン、コントラバスとオーケストラのための)
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ作曲
八重奏曲変ホ長調作品20
イ・ムジチ合奏団
ルチアーノ・ヴィカーリ(ヴァイオリン、ボッテジーニ)
ルチアーノ・ブカレッラ(コントラバス、ボッテジーニ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。