かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:吉松隆 ギター作品集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は吉松隆のギター作品集を取り上げます。

吉松隆と言えば、近年評価が上がってきている作曲家です。特に管弦楽作品で評価されていますが、なんとなんと!しっかり器楽曲も作曲しているのでした。調べてみれば、吉松隆は多作家となっているのですね。

ja.wikipedia.org

yoshim.music.coocan.jp

ピアノのほうがむしろ、器楽曲だと有名なのかもしれません。ですが借りてきたのはギター作品集。そこが私の天邪鬼なところでしてwwwww

さて、作品一つ一つ語っていると本当に紙面が足りません(特にスマホから見る人にとっては苦痛でしかない)。そこで全体的な印象を語りますと・・・・・

吉松隆管弦楽作品のイメージである、不協和音の多様というか、無調というよりは調性の拡大という感じがしますが、このギター作品ではそれほど調性無視ではなくせいぜい調性の拡大に留まる一方、それゆえに味わい深い作品が多いというものです。時としてロックな作品もあり、ギターという楽器によく合う!

ともすれば、それはエレキのほうがいいんじゃない?と思うような作品もクラシック・ギターで弾いても違和感がなく、一つの宇宙をギターで創造できる、という感すらあります。

それは普通、ピアノで言われることなんですが、この吉松のギター作品を聴いていますと、むしろギターこそ宇宙を創造できるんだ!とすら思えてきますwwwwww

いや、笑い事ではなく、本当に一つの宇宙というか、世界が自分の地平に降りてくる、そんな感じなんです。時には可憐な作品、映画音楽かなと思えるものもありつつも、それが一つの「万華鏡」となっているのが特徴で、聴いていて飽きないです。

ギターという楽器は、ソルなどにより一つの頂点を築き、特に庶民の楽器として広まってきました。その一つの運動がロックによるエレキの使用だと思いますが、そのエレキに負けない世界が存在する・・・・・これだけで驚きです。

私たち日本人はもしかすると、吉松隆という才能を過小評価してやいないかって思います。それを演奏する福田進一も思っているような気がします。作品群の特色、そしてクラシック・ギターという楽器の特色から、声高に叫んでいるわけではないんですが、つらつらつまびくその音色からは、静寂、温かさ、悲しみなど、様々な人間の感情が、そこはかとなく音として存在していることに気が付かされます。そして福田進一もその「音」をかみしめるかのように弾くんですよね。

そういう演奏を聴けば、そりゃあ管弦楽が好きな人は罵倒しますよねえ、吉松。けれどもクラシック音楽は常に管弦楽よりは声楽や鍵盤楽器が主流でもありました。それを考えるとき、その批判は必ずしも正しくないと私は思います。ギターという楽器の特性を十分わかったうえでの作曲を演奏者が理解して、自分の技術を使って代弁しているその様子は、いつの間にか共感へとつながっているのです。特にホールである岐阜サラマンカ・ホールの絶妙な残響も、その「世界構築」に十分貢献しているように思うのはわたしだけなのでしょうか。

 


聴いている音源
優しき玩具~吉松隆ギター名曲集
吉松隆作曲
ストリート・ダンサー
古風なる樹の歌
ベルベット・ワルツ
夏:8月の歪んだワルツ
木漏れ陽のロマンス
アラウンド・ザ・ラウンド・グラウンド(委嘱作品)
ペンギン公園の午後
朝の歌
水色のアリオーソ
夕暮れの天使たち
ノクターン
秋:11月の夢の歌
リムセ
水色スカラー
I嬢の肖像
冬:子守歌
ヴィネット
アーノルド氏のオルゴール
G氏の肖像
春:5月の夢の歌
福田進一(ギター、19世紀ギター)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。