かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買い物:マズアとゲヴァントハウスのベートーヴェン交響曲全集4

今月のお買い物、平成30年5月に購入したものをご紹介しています。クルト・マズアライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を振ったベートーヴェン交響曲全集の今回は4枚目です。

この4枚目には第4番と第5番が収録されています。偉大な多くの先達者たちが振ってきた名曲ぞろいです。特に第5番「運命」は。

第4番も、なんといっても楽しそうに振るクライバーや、堅固な彫刻のような美しさを持つヴァントなどの録音が残っている作品です。

では、マズアはどうなのかってことですが、一言でいえば、踊念仏、です。え?どんな意味かって?

踊念仏とは、日本の鎌倉新仏教の一つ、時宗で確立した念仏を唱える一つの方法で、踊りながら南無阿弥陀仏と唱えれば救われるというものです。

念仏
踊念仏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%B5%E4%BB%8F#%E8%B8%8A%E5%BF%B5%E4%BB%8F

時代を下れば歌舞伎にも影響を与えたもので、一種のトランス状態を生み出すことにより、仏に守られているという安心感がその効果としてあるように、私はとらえています。とはいえ、私は時宗の宗派ではないんですけどね。

このブログでも何度か言及していると思いますが、舞踊は古今東西分け隔てなく人間の表現の一つでした。西洋でも踊りは神への賛美につながっており、日本ではそれは八百万の神であったり、仏だったりするわけです。

このマズアの指揮は、オケと一体となり、第4番では楽しみとして、第5番では喜びとして、まるで踊っているかのような錯覚を受けるのです。第5番は第1楽章が「運命はこう戸を叩く」というエピソードが伝わっているくらい悲劇的なテクストですが、最終的には勝利で終わるドラマティックなものです。にも拘わらず、そこにはどこか人間的なものがあります。勝利を神に感謝するような、そんな雰囲気すらあります。

それは不思議な光景です。なぜなら、この録音は旧東ドイツの時代に収録されたものだからです。社会主義といえば禁教というイメージがありネガティブにとらえられることが多いのですが、東ドイツに至っては、もちろん厳しい側面はありましたが意外とおおらか部分もあったわけです。ただそれは、政府公認のおおらかさですけれど・・・・・

それでも、まるで楽しみと喜びがどうしても手放すことができないような、にじみ出るかの表現なんですね。まるでマズアが鐘を叩く一遍上人で、オケがそこに集し会衆たちといったところです。

一遍上人も、身分制度が色濃い時代に、熊野権現の啓示により分け隔てなく南無阿弥陀仏と唱える札を配ります。その精神は、決して自由とは言えない社会主義の時代に、ベートーヴェンの作品に横たわる自由と連帯を表現できる喜びが、演奏からにじみ出るマズアとげヴァントハウスの団員達と相通じるものがあるように、私には思えるのです。だからこそ、最後美しく終わる第5番の最終楽章で、下手すれば涙すら浮かべてしまうのです。




聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第4番ロ長調作品60
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(Philips 470 475-2)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村