かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:黒人とヨーロッパオケが出会った、ガーシュイン管弦楽作品集

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回は、ガーシュイン管弦楽作品集を取り上げます。

まあ、ガーシュインの有名作品がずらりと並んでいますし、幾つかは過去にも取り上げている作品なので、以前取り上げていない作品のみ説明を加えて、あとは演奏を語りたいと思っています。

まずはいきなりクラシックファンにはなじみが薄い作品が。ストライク・アップ・ザ・バンドは、ガーシュインが作曲したミュージカル。その中から抜粋している作品です。もともとジャズミュージシャンでもあるガーシュインらしい、生き生きとした作品です。

2曲目のラプソディ・イン・ブルーは説明の必要ないでしょう。3曲目の「ガール・クレイジー」は説明の必要があるかと。これ、ミュージカルが好きな人ならピン!とくる作品なのです。え、来ないよって?なら、劇団四季の「クレイジー・フォー・ユー」ならどうですか?

クレイジー・フォー・ユー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%BC

多分、クラシックが好きな人ならば、え、アイ・ガット・リズムじゃないの?って勘違いすると思いますが、それも当然。第1幕の最後が、アイ・ガット・リズムなんですから。それを冒頭に使っているんですよね。だから勘違いするんです。けれども、アイ・ガット・リズムは別に5曲目に入っています。それはもともとアイ・ガット・リズムが単独の歌曲だったことに由来します。アイ・ガット・リズムはガーシュイン自身の手によって変奏曲にもなっています。

4曲目は実は交響詩である「パリのアメリカ人」。有名な割には交響詩だと知らない人も多いかと。ジャジーな音楽が交響詩!これぞアメリカ音楽です。

最後の「キューバ序曲」。1932年にガーシュインキューバへ行った経験で作曲された作品です。チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」のようなものです。

キューバ序曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E5%BA%8F%E6%9B%B2

チャイコフスキー国民楽派として、イタリアの気候や風土に触発されたように、ガーシュインもジャズミュージシャンという、言わばアメリ新古典主義音楽(あるいはアメリ国民楽派)作曲家として、触発される点が多かったのだと思います。しかも、ベートーヴェン以来伝統の演奏会用序曲という様式の選択。こういう作品をもっとコンサートで取り上げると、クラシックのコンサートに初心者がくるんだと思うんですよねえ。カルメンととかでもいいんですが・・・・・だって、学校の鑑賞の時間でんなもん散々取り下手いるじゃないですか。それに閉口してミュージカルを見ているひとだっている筈です。なぜそういった人を実はクラシック楽しいよ!とガーシュインで取り込もうとしないのかって、不思議です。

さて、選曲は不思議だと思いませんか?オペラ「ポーギーとべス」が採用されていないんです。クラシックと言えばオペラでしょ?って人にとってはあれ?と思ってしまうはずです。けれども、指揮するは黒人ピアニストで指揮者のウェイン・マーシャルなのです。

ウェイン・マーシャル
http://www.proarte.co.jp/overseas/artist-backnumber/2007/post-56.php

実は、この音源を借りてきたきっかけは、指揮者が黒人だったから、なのです。いよいよクラシックも黒人が指揮する時代か!と驚きをもって棚を見たのを覚えています。ですので即断でした。でも、マーシャルが採用した指揮とピアノを自分がやるというのは、ジャズでは当たり前の方法なんですよね。だから指揮者とソリストが分業するオペラは敢えて採用しないとすれば、納得がいきます。そしてそれは、古典派モーツァルトの時代までは当たり前の方法だったことも、想起する必要があります。

多少リズムが先走る部分もあるのですが、ヨーロッパオケであるオールボルイ交響楽団の、なんと気品ある、その上でスウィングしている演奏なのでしょうか!マーシャルの指揮とピアノとしっかりアンサンブルして、生命力溢れる演奏を繰り広げています。その心地よさと言ったら!

その上では、マーシャルはガーシュインだけではなく、もしかするとバッハも念頭に置いているのかなと思う部分もあります。なぜなら、バッハの組曲は舞曲集だからです。スウィングは体を揺らすと言う事で、そうなるジャズの一ジャンルをも意味しますが、バッハの組曲は舞曲ですから、スウィングする必要があるんですよね。それをまさに想起させるに十分な演奏なのです。

だから、物語が中心となるオペラは抜いて、とにかく歌って踊るミュージカルを中心に据えた選曲となっているように思います。勿論、ミュージカルだって物語は重要です。その上で、歌って踊る。これはオペラにはなかなかないものです。特にワーグナー以降、オペラが歌と物語という様式に特化して純化し、昇華して行った以降は。バレエが抜かされた反面、喜劇的要素は少なくなったのです。それこそ、泣いて笑ってという意味での、です。

ミュージカルは、その「泣いて笑って」という要素を、歌と踊りで表現するわけなんです。その楽しさは、オペラが芸術として昇華する経緯で捨て去ったものです。それが悪いと言うのではなく、オペラはそういうものだということ、なのです。ですから、泣いて笑いたい人にとっては、オペラは窮屈でしかありません。あえてガーシュインの有名作「ポーギーとべス」を抜かしているということには、指揮者マーシャルと編集者の、音楽とは楽しいものだ!という視点が反映されているように思います。それがまた、楽しいんですよねえ。マーシャル自身はイギリス出身なのですが、多分にアメリカ的な要素満載です。

日本ではその「泣いて笑う」と言う点が、クラシックではなぜか抜けていて、それは精神性を下げるとまで言われるんです。でも、精神性ってなんでしょう?言い換えれば、魂、です。それは人間の心の内です。人間には喜怒哀楽があります。音楽はどんなジャンルであっても、そのすべてを作曲家はあらゆる作品を通して表現しようとします。一つの作品で難しければ、他の作品でトライするわけです。例えば、ベートーヴェンは大上段の演説は交響曲で、個人的な吐露はピアノ・ソナタで、そして仲間へ音楽ができる喜びを語るには弦楽四重奏曲で、と使い分けました。本来ミュージカル所以のジャジーガーシュインの音楽も、そのジャジーな音楽が持つ特質故の「語り」があるはずなんです。それに耳を傾ける事は、自らの魂に栄養を与え、精神性を高めることに繋がると、私は思います。

このアルバムに収録された作品はどれも、そんな「魂に喜びを与える」泣いて笑える作品を軸に、編曲された素晴らしい作品ばかりだと思います。是非ともミュージカルが好きな小金井市民の方は、借りて損はないと思います!




聴いている音源
ジョージ・ガーシュウィン作曲
ストライク・アップ・ザ・バンドオーケストレーション:ドン・ローズ)
ラプソディ・イン・ブルー(ピアノとオーケストラ)(オーケストレーション:ファーディ・グローフェ)
ガール・クレイジーオーケストレーション:ドン・ローズ)
パリのアメリカ人
アイ・ガット・リズム(ピアノとオーケストラ)(編曲:W.C.シェーンフェルド)
キューバ序曲
ウェイン・マーシャル指揮、ピアノ
オールボルイ交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村