かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ブラームス全集より 合唱3

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ブラームスの合唱曲の全集を取り上げていますが、今回はその第3集です。

ブラームス全集だけではなく、単独で全集としても出ているこの音源ですが、この第3集では作品番号とWoO番号が付いたものの二つが取り上げられています。

ブラームスの合唱曲は、宗教的なものもあれば世俗曲もあるのでバラエティ豊か。それが戦後日本という社会において受け入れられる点だったのでしょう。

その上どれも美しいのです。アンサンブルを合わせるともうそれだけでうっとりするような作品がずらりと並びます。

よく、ドイツ精神主義を批判しだからフランスなんだっていう意見が散見されますが、私はそのスタンスには賛成できません。フランスの作品にでは精神性がないって言うんですか?そんなことはありません。人間の内面のどこに重きを置いて表現するのかで、ドイツとフランスとで違いがあるにすぎないのです。

私は、精神性という言葉をあまり使いたくありません。むしろ霊性という言葉を使いたいくらいなのですが、それも日本人にはピンときません。ですので、最近は「魂」という言葉を使うようにしています。

ブラームスは一生独身だった人です。恋に恋い焦がれながらも、音楽を作ることに人生を費やした人です。そういう人が作る作品はどうしても内向的になります。内向的でかつ内省的です。それでも、ブラームスの合唱曲は決して重々しくなく、むしろ軽い発声を要求するものが多いのです。

それはなぜなのか・・・・・・私なら、聴きながらそこを考えます。フランス音楽にはストレートな生の喜びがあるのですが、ブラームスにはそれがないのは、ひとえに結婚していないから、なのです。しかし、そのブラームスがドイツ音楽の代表格にされてしまったため、齟齬が起きたのだと思います。例えば、ブラームスシューマンとでは違いますし、ベートーヴェンとはまた異なります。

むしろ、重厚なのかそうではないのかのほうが、フランス音楽とは著しい違いがあるのでは、と思います。むしろ、私からすればフランス音楽は生のよろこび「だけ」しか表現していないような感じすらあります。一方ドイツ音楽はバラエティ豊かです。それはオルフの勝利三部作で頂点を極めたと言っていいでしょう。しかしそれを破壊したのは一方でドイツ自身でした・・・・・

一方で、フランス音楽は生のよろこびを表現しながらも、フランス社会はフランス革命後紆余曲折しました。血生臭いこともたくさんありました。しかしその経験を次に生かして、さらなる「生のよろこび」が表現できる社会を作ってゆきました。現代に生きる私たちは、そのような「複眼」を持っておきたいと思いますが、いかがでしょうか。

どちらが私たち日本人にとっていいのだろうか・・・・・せっかくブラームスが内面性の高い素晴らしい作品を紡いでくれているのですから、そういったことも考えながら聴きたいものです。例えば、「小結婚カンタータ WoO16」などを聴きながら・・・・・




聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
2つのモテット 作品74(6声の混声合唱のための)
6つの歌曲とロマンス 作品93a(4声の混声が症のための)
祝宴の歌《婦人たちの感謝》作品93b(6声の混声合唱とピアノのための)
5つの歌 作品104(混声合唱のための)
祭典と記念の格言 作品109(8声の合唱のための)
3つのモテット 作品110(4声および8声の合唱のための)
小結婚カンタータ WoO16(4声の混声合唱とピアノのための)
聖なる大地の暗い胎 WoO20(混声合唱のための)
7つのカノン
エディット・マティス(ソプラノ、作品93aの2.)
ルノート・カール(ピアノ、作品93b、WoO16)
マルティン=アルブレヒト・ローデ(ヴィオラ、WoO27)
ギュンター・イェーナ指揮
ハンブルク北ドイツ放送合唱団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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