かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:コレッリ 作品全集5

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、コレッリの作品全集を採り上げていますが、今回はその第5集です。

作品番号順に収録されているので、第5集ということは作品5ということになります。この作品5はソナタとは銘打っていますが、教会ソナタと室内ソナタが、一緒になっている変わり種です。

室内ソナタは舞曲が中心で、バッハの時代まで下れば、組曲ということになるわけですが、一方で教会ソナタは、じつは現在私たちが聴いているソナタに近い様式を持ちます。でもそれが全く自然なのです。

編成も、基本的に2つの楽器になっており、古典派のソナタに限りなく近い様式だと言えるでしょう。バッハはこれをそのまま踏襲しつつ、一度分解して組曲にもしてみたということが言えます。そしてさらに様式は洗練されて、多感様式時代の「大バッハの息子達」の手を経て、古典派へと受け継がれ、ベートーヴェンによってさらに磨きをかけられ、通奏低音と独奏楽器は対等になっていくのですね。

そう考えれば、コレッリのこの作品は実に当時からすれば実験的な作品だったはずです。でも、今の私たちからすれば、とても自然であるのは、ベートーヴェンが革命を起こしたことを知っているからだと言えるでしょう。コレッリがその革命を見越してたとまではわかりませんが、イタリアという地域で、当時どんな運動が音楽家の中であったのかを想像することは出来ます。

例えば、バロック以降は古典派やロマン派、或は新古典主義音楽や12音階などには、中心とする作曲家が居て、時代を動かしていくと音楽史では習いますが、バロックではたくさんの作曲家を知りながら、ではだれが中心的役割を果たしたのかは実はあまり知られることがありません。しかし、じつはイタリアの作曲家たちは自然と中心的な役割を担ったのです。この点が、ドイツ音楽一辺倒だと知られることは稀です。

バッハはコレッリの法則に則って作曲したことが伝えられ、言うなればドイツとという地とその文化の範疇で、イタリア・バロックをドイツ・バロックへと昇華させ、さらに磨きをかけて行ったと言えるでしょう。バッハの音楽の美しさの原点は明らかにコレッリであると言えるでしょう。さらに美しさと精神性を統合し、さらに高みへと登らせたのがベートーヴェンだと考えれば、コレッリの音楽の影響力の強さがわかろうものです。

演奏する、アカデミア・ビザンチナは、実に自由な解釈をしています。通奏低音チェンバロまたはチェロ(正確にはヴィオローネ)とされていますが、その3つすべてを使っています。時にはヴァイオリンとチェロ、時にはヴァイオリンとチェンバロ、時には3つトゥッティでと、実にバラエティ豊かにしています。その解釈は、実に豊潤な音楽が現出するという結果を生み出し、ソリスト集団であることが、個々人の演奏能力の高さが見られるとともに、そのアンサンブルの高さも見せつけ、たった3つの楽器でもオーケストラ並みの宇宙を表現することが可能であることを意味しています。

それはおそらく、音楽史においてはピアノが辿った道ですが、それは音楽の発展の歴史でもあると言えるでしょう。オケが大規模になっていく一方で、ピアノ作品が数多く生み出されているのはなぜなのでしょうか?そんな問いかけすら、この演奏からは聴こえて来そうです。




聴いている音源
アルカンジェロ・コレッリ作曲
ヴァイオリン、チェロまたはチェンバロのためのソナタ集、作品5(第1番〜第8番)
アカデミア・ビザンチナ
 カルロ・キアラッパ(ヴァイオリン)
 マウロ・ヴァッリ(チェロ)
 パオロ・チェリーチ(テオルボ)
 オッタヴィオダントーネ(オルガン・ハープシコード
 パオロ・パオリー二(スパニッシュ・ギター)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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