かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ロドリーゴのギター協奏曲

皆さま、こんにちは!

ふっかーつ!

いやあ、大変な目にあいましてございまする。この一週間、インフルエンザで休んでおりました・・・・・

丁度1週間前、夜勤の終わるころから体がだるかったんですね。帰りも電車を乗り越すこと2回。なんか疲れてるなというより、おかしいなというほうが頭をよぎりました。予定もね過ごし、その連絡で挙句の果てには風邪声だけど大丈夫って言われる始末(いや、こちらが遅刻してるんで心配するのはこっちなんですが汗)。

そこで、医者に行きましたら、インフルエンザA型・・・・・人生初、でした。

何もかもが人生初なので、まあ、罹患2日目くらいまでは手探り状態でした。そこで、思い切ってこのブログもお休みとさせていただきました。

皆様に置かれましては、御心配をおかけいたしましたが、本日無事復活と相成りました。

それでは、本編参ります。神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はロドリーゴのギター協奏曲を取り上げます。

え、ロドリーゴにギター協奏曲なんてありましたっけ?という人もいるかと思います。もちのろんです!ございますとも。

かの有名な、アランフェス協奏曲がそれです。

アランフエス協奏曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A8%E3%82%B9%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2

ロドリーゴと言えば、このアランフェス協奏曲が何と言っても有名なのですが、じつはロドリーゴは、ギター奏者ではないんです。そもそもはピアニストです。

ホアキン・ロドリーゴ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B4

ロドリーゴ Rodrigo, Joaquin [ スペイン ] 1901 - 1999
http://www.piano.or.jp/enc/composers/637/

ピティナにページがあることがお分かりでしょう。ピアニストとして活躍した人ですが、彼は3歳の時に失明しています。私はここは重要なポイントだと思っているんです。

何故なら、それはベートーヴェンへのリスペクトへと繋がる可能性があるからです。生存年を見ればつい最近まで生きていた作曲家であることがお分かりかと思いますが、それは音楽が20世紀の影響を受けている、ということを示します。

この音源のアルバムは何と言ってもアランフェス協奏曲が全面に出ていますが、カップリングが「ある貴紳のための幻想曲」です。じつはこれは実質的なギター協奏曲で、1楽章形式にする時に、ロマン派〜現代において使われるジャンルです。実際には4楽章ありますが、連続して演奏されますので、見かけ上1楽章になります。

ある貴紳のための幻想曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%8B%E8%B2%B4%E7%B4%B3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%B9%BB%E6%83%B3%E6%9B%B2

一方のアランフェス協奏曲。古典的な3楽章形式をとりますが、一番有名な第2楽章アダージョが一番長くなっています。ウィキやブックレットの記述を総合すれば、平和と祈りというのがこの作品のテーマであれば、なるほど、ロドリーゴはこの第2楽章を中心に据えたと言うことになります。第1楽章と第3楽章はアレグロ。これはどこかバッハのカンタータの、鏡像構造に似ています。

それは何を意味するのでしょう?つまり、ロドリーゴ新古典主義音楽の影響を受けている、という事です。アランフェスにはフラメンコが使われていますし、民俗音楽を使うという20世紀初頭の音楽ブームや、そもそも国民楽派の影響も受けつつ、どこかそれとは一線を画している・・・・・そんな音楽は、第1次世界大戦の惨禍を見て生まれた、新古典主義音楽の運動の匂いがあります。

アランフェスにバッハの影響をみるのは、楽章の並びだけではありません。そもそも、ギターがオケとアンサンブルすると言うことは、ギターの貧弱な音とどうアンサンブルするかという課題に直面することになります。この録音ではどうやっているかまではわかりませんが、ギターにマイクを別途つけるということすらあります。それでも、よく聴いてみれば、ギター独奏の時はオケを鳴らさない、あるいはオケでも幾つかの学期しかアンサンブルさせないとか、あるいは鋭い音を使うことで、オケがフォルテでも聴き取れるよう、工夫が凝らされています。それはまるでバロック時代の協奏曲を彷彿とさせます

元々ピアニストであるロドリーゴは、ギターという楽器の特性を考えた時、チェンバロに似ていると考えても不思議はありません。私はモーツァルトのクラヴィーア協奏曲について書いた時、フォルテピアノではオケとの音量のギャップが激しいので、もっと編成は小さいはず、当時は今よりオケは小さかったわけだから、思い切って1パートあたりの楽器の数を減らしてもいいのではという提案をしました。なぜなら、バロックがそうだったからです。ロドリーゴは20世紀という時代において、このアランフェス協奏曲でやってのけています。当然モダンなのですが、ピリオドと同じことをやっているのですね。それがこのアランフェスという作品の魅力であり、一方でその構造こそ、旋律だけではない、ロドリーゴが作品に込めた想いなのかもしれません。

その上で、このアルバムの性格を考えれば、このアルバムはロドリーゴのギター協奏曲集としての性格を持つと言えるでしょう。単にアランフェスだけを持ってくるのではなく、カップリングに「ある貴紳のための幻想曲」を持ってくることで、ロドリーゴのギター協奏曲の特色、魅力を知ってもらおうという意図が見えます。アランフェスだけではなく、それ以外の作品も聴いてみたくなります。

演奏はギターがボネル。ロンドン生まれのスペイン系で、それゆえか、アランフェスの第2楽章はしっとりと、丁寧に弾いています。まさしくそれは祈り・・・・・一方で、ある貴紳のための幻想曲ではスペイン風味たっぷりに弾いています、第3楽章のたいまつの踊りなどは、スペインの風土がしっかりと感じられます。指揮とオケはデュトワモントリオール響。フランスものやロシアものでは鉄板のコンビです。このアルバムではスペインものもしっかりとその色彩を表現していることがわかります。デュトワは特に色彩感あふれる作品で見事な解釈と指揮を見せますが、このアルバムでも同様で、ラテンものを演奏させたら本当に上手だなあと思います。またモントリオール響もふくよかなアンサンブルが二つの作品にぴったりで、聴き飽きません。

そもそも、わたし自身の国民楽派への疑問、ある種の境界線引きから始まった、新古典主義音楽への傾倒からこのアルバムに辿りついているのですが、本当に祖国の作品を愛するということはどういうことなのかを、がつんと頭を殴られたような感覚さえ覚えます。アランフェスやある貴紳のための幻想曲は、果たして「和菓子屋」なのでしょうか・・・・・・

是非皆さんも聴いて考えたいただけたらと思います。




聴いている音源
ホアキン・ロドリーゴ作曲
アランフェス協奏曲
ある貴紳のための幻想曲
カルロス・ボネル(ギター)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村