かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:グールドの「平均律」3

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、グールドが演奏するバッハの「平均律クラヴィーア曲集」について特集していますが、今回はその第3回目です。

4つに分かれている3つ目、つまり第3集は平均律クラヴィーア曲集第2集が中心となりますが、これもまったく快速というのは程通り演奏で、かといってリヒターのように過度に重々しくもなく、いいテンポ感でかつ軽めでその上で荘重である、と言えます。

時として、情熱的な演奏をするグールドが、これだけ言うなれば知的な演奏になっているという事自体が、いかにバッハを尊敬し、その音楽の本質を私達聴衆につたえようとしているかの現われである様に思います。

グールドは余りにも鮮烈なデビューをし、伝説も様々あるので、レッテル張りが激しいピアニストだと思いますが、幾つか私もグールドの音源を持っていますが、特にバッハに置いては、こうあるべきというものがないと言えます。ただ、もし言えるとすれば、それは「楽譜や歴史と向き合え」という事ではないかと思います。

それは内面を重視するなという事ではなく、演奏するに不可欠な、楽譜という記号からいかに作曲家のメッセージを受け取り、自らの内面とリンクさせるかという作業が必要であるということを問うているとも言えます。

特に、軽めのタッチから生み出される洒脱さや荘重さは、バッハの音楽になぜ舞曲が多いのかという、歴史を踏まえていると言えるのであり、決してグールドが楽譜を無視しているわけでもなく、音楽史を無視しているのでもないことが分かります。むしろ、楽譜も音楽史も重視した結果生み出されていると言えるでしょう。

バッハと言えば、器楽曲が上位とされる日本において、なぜかリヒターのカンタータの演奏のイメージで語られることが多いのですが、むしろ舞曲が多いことでそれほど重々しくはないのです。カンタータが会衆のための音楽であったことを踏まえますと、むしろ当時の庶民からちょっと上の人たちに向けて書かれているのであり、だからこそ舞曲が入ってもいると考えることができます。

そしてそれは、カンタータに限らず器楽曲でも同様で、だからこそ、このグールドの演奏は、まさしく音楽史を踏まえていると言えるのです。その上で、のびのびとした音楽が鳴り響いていることは、グールドが作品とシンクロし、音楽の内面がグールド自らの内面となっており、作品が持つ喜怒哀楽がそのままグールドのものとしても表現されていると言えるでしょう。

知的な作業を経たうえでの、内面の現出は、冷静さの中に暑いものが存在する、まさしく「情熱と冷静さの間」のバランスが抜群です。その間、文学でいえば行間から、私達は何を受け取るのか・・・・・

グールドの演奏から考えることは、多くの喜びをもたらしてくれることでしょう。




聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
平均律クラヴィーア曲集第2巻
24の前奏曲とフーガBWV878〜893
グレン・グールド(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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