かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:瀬川玄ピアノ・リサイタルを聴いて

今回のコンサート雑感は、このブログでも何度か取り上げています、ピアニストの瀬川玄さんのリサイタルを取り上げます。

SNSで知りましたピアニストの瀬川さんですが、彼の演奏の魅力は何と言ってもその表現力です。

今回はオール・ドビュッシー・プログラム。今年ドビュッシーが生誕150年を迎えることがその理由ですが、今回私はそれに合わせて予習をしていきました。具体的には、神奈川県立図書館で集中的に作品を借りてきました。それについてはまた別の機会に触れたいと思います。

さて、まずはプログラムから触れましょう。普通、プログラムには解説が載っているものですが、今回、瀬川さんは楽曲の解説を全く載せていません。その代り、その曲にまつわる芸術作品が紹介されているだけです。

これは、瀬川さんが、聴く人に想像力を働かせてほしいがためでした。私は彼のサロンへ通っていますが、そこで今年の初め、瀬川さんはドビュッシー印象派ではない!と言い始めました。え、ピアニストはトチ狂ったか!という人もいるかもしれませんが、実はそれはドビュッシーの言葉でもあるようです。むしろ自分は象徴主義であると。

象徴主義とは、絵画技法としては写実的ですが、実際にはあり得ないものを描くことによって、自らの主張を芸術として現出させるものです。

象徴主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%A1%E5%BE%B4%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ウィキでは難しく書いていますが、簡単に言えば、上記私が述べたようなことを芸術において実践することが象徴主義です。夢想的なことを具体化しようとする、というほうが分かりやすいかもしれませんね。

ところが、ドビュッシーはたんなる象徴主義ではなく、確かに印象主義的な表現も数多く使っています。しかし、やはりその寄って立つのは象徴主義であるように思います。ドビュッシーの音楽はある意味写実的だからです。しかしそれは具体的な対象だけではなく、人の心や、文学における行間、芸術作品に対する印象などを、具現化しようと試みているのです。

具現化の対象に印象が入ることから、説明としてはややこしくなります。ですから、瀬川さんは解説の代わりに、各楽曲が作曲されるきっかけとなった芸術や文学のみを、プログラムに載せたのです。

それを助けるために、まず瀬川さんは端整な演奏から入りました。曲順に「夢想」「バラード」「ロマンティックなワルツ」まではあまり感情たっぷりとは演奏しません。その代り、第2曲目から第4曲目までをほとんど途切れなく演奏するという、奇抜なことをやってくれました。

これにはびっくりしました。しかしこれは素晴らしい効果を私に与えてくれました。後で調べて気が付いたのですが、前半4曲はすべて1890年の作曲なのです。第1曲目だけを別に演奏したのは、恐らく序曲として演奏したのだと思います。その後、3曲(そもそも4曲あるベルガマスク組曲まで!)をアタッカで演奏しますと、なぜか違和感ないのです。この3曲、いや4曲がドビュッシーの中で別なものとして扱っていないという証拠でもあります。

勿論、作品としては別なものです。しかしこの3曲が作曲された時期の、ドビュッシーの作風は似ているという確たる証拠でもあるわけです。そして、その音楽は今翻って他の演奏者の演奏で復習してみますと、不協和音が少なく、メロディーラインがはっきりしていることに驚かされます。それでも、たとえば古典派などとはまったく別な和声がそこには存在します。これは私自身、今回改めて気づかされた点でした。

そしてそれは後半でも続きます。「夜想曲」「牧神の午後の前奏曲」は各々独立して演奏されましたが、「仮面」と「喜びの島」はアタッカで演奏され、それはまるで一つの作品のようでした。確かにこの二つは1904年の作曲です。他の二つはもう10年ほど前の作曲で、かつ作曲年は別々です。

これをまた読み解くには、ウィキのドビュッシーの説明を上げるのが一番適切だと思います。

クロード・ドビュッシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。また歌詞やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃いと目されることもあるのだという。」

そう、彼の音楽を印象派ではなく象徴主義であると「言い切って」しまうと、時期が異なることで微妙に作風が異なる作品を、今度は説明することが出来なくなってしまうんですね。それを説明するために、文章ではなく芸術作品を上げ、それを見ながら聴衆に想像してもらうという方法を採ったというわけです。

そもそも、ドイツ音楽、しかも古典派から前期ロマン派までを主に聴いてきた私にとって、この演奏はまさしく、「ドビュッシーとはいかなる作曲家ぞや?」という問いを投げかけられ、それを自分で答えを見つけるという作業を求めれたことで、作業をすることによって理解するということに繋がったのです。それはとてもありがたく、そして素晴らしい時間を提供してくださったと感謝の言葉しかありません。

その連続した後半2曲では、いわゆる「瀬川節」が全開で、ロマンティックでありながら冷静さを全く失わず、でもとてもドラスティックな演奏でした!ドビュッシーを聴いて感動する自分がいる!それがとても不思議で、でも嬉しいことがとても幸せでした。

アンコール3曲ではその「瀬川節」がさらに全開。ホールの素晴らしい響きと合わせ、美しい時間を過ごすことが出来ました。

もし一つ問題を提起するとするならば(と、ピアニストでない私がいう資格はないのを承知でですが)、一番最初の「夢想」ではppが少しpになっていたかなと思います。いつもなら最初からppで思いっきり行くのですが、フランスものをリサイタルで取り上げるのが最初であったという緊張感と、ホールの響きをうまく演奏に活かしきれなかったのかなと思いました。まあ、「弘法も筆の誤り」ということで・・・・・

全体的には、そんな細かいことは全く問題にならない、素晴らしい演奏でした!



聴いてきたコンサート
瀬川玄 ピアノ・リサイタル〜若きドビュッシー象徴派の世界〜
クロード・アシル・ドビュッシー作曲
夢想
バラード
ロマンティックなワルツ
ベルガマスク組曲(全曲)
夜想曲
牧神の午後の前奏曲
仮面
喜びの島
アンコール:亜麻色の髪の乙女
      「ピアノのために」よりトッカータ
      二つのアラベスク第1番
瀬川玄(ピアノ)

平成24(2012)年6月1日、埼玉所沢、所沢文化センター ミューズ キューブホール



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