神奈川県立図書館所蔵CDのショパンピアノ作品全集の今回は第2集を取り上げます。
そもそも、ピアノソナタではなく、「ピアノ作品全集」というネーミングであることに注目すべきだと思うんですね。ベートーヴェンなら大抵ピアノ・ソナタで全集があって、そこにソナチネなどが付いたりつかなかったりというのが普通ですが。ショパンの場合、作品数が多くその上ジャンルが多岐にわたることから、こういった名前になるのですね。
全集を借りるということは、こういった作曲者の作品の特色に触れることでもあります。もちろん、それが端的に一枚で知ることが出来ればそれはそれでいいわけなのですが、実はなかなかそのような編集のものはないのです。
私も当時ショパンのピアノ曲を俯瞰するのに何か適当な一枚はないか探しています。しかし、結局なかったのです。そのため、いっそ図書館で全集を借り手しまって、外付けに入れてしまうほうがいいと判断したのです。
実際、説明書がないにも関わらず、簡単に俯瞰できるこういった全集はありがたいです。出来れば解説書があるともっといいと思うのですが・・・・・これは別にあったかもしれませんが。当時そこまで考えていなかったですね。実際借りたとして、ではその解説書をどう使うのかが問題です。
学校の授業で使うのであればさほど考え込むことはありません。コピーすればいいわけです。しかし、せっかくデータだけでと思って借りているのに、解説書をまさか書き写すのか?と(しかし、実際は今は書き写しているのですから面白いものなのですが)。
しかし、この第2集は解説書があればと思う一枚です。この第2集ではバラードとスケルツォが収録されていますが、そのうちスケルツォの第3番が問題なのです。
解説書を借りなかったのは実はウィキにも解説がある程度載っていることも理由の一つなのですが、そのウィキには第3番の説明としてこうあります。
「曲想はベートーヴェン的である」
スケルツォ第3番 (ショパン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A9%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3)
ショパンも後で出てきますが、幻想即興曲にベートーヴェンに似た旋律があったりなど、ベートーヴェンを多分に意識した作曲家でしたが、そんな雰囲気がある曲がこの第2集にはいくつか散見されます。このスケルツォ第3番もそうですし、冒頭のバラード第1番も多少ベートーヴェン的な幻想風の楽想があります。そのなかに所謂ショパンらしい楽曲が入っています。
なぜアシュケナージがこの二つのジャンルの作品をここで持ってきたのか、想像できるサイトがあります。
ショパン・スケルツォ第1番〜第4番
http://www10.plala.or.jp/frederic3/work/scherzo.html
スケルツォと言いますと、ピアノよりも私たちはベートーヴェンの交響曲の第3楽章で使われることで知っています。その点をショパンが意識していた・・・・・その点を皆さん注目してくださいね、ということだとすれば?
「ピアノの詩人」というくくりだけで、ショパンを語るべきではないなあと思います。では、私にそのくくりをとっぱらってどこまで語れるかと言えば、そもそもピアノ曲に興味が向いたのが最近なのではなかなか難しいわけなのですが・・・・・
でも、そういったことに目を向けさせてくれただけでも、アシュケナージのこの編集は、大変ありがたいと思います。いわゆるショパンらしい楽曲がなぜそうなのかを理解するためには、もしかするとベートーヴェンの存在は無視できないのではないかと私は思っているので・・・・・
はっとさせられる第2集です。
聴いている音源
フレデリック・ショパン作曲
バラード第1番ト短調作品23
バラード第2番ヘ長調作品38
バラード第3番変イ長調作品47
バラード第4番ヘ短調作品52
スケルツォ第1番ロ短調作品20
スケルツォ第2番変ロ長調作品31
スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39
スケルツォ第4番ホ長調作品54
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
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