今日から、土日のランダムで新シリーズ「心の窓」をお送りします。私が今音楽で何を感じているか、コラムのような硬い感じではなく、もっと軽い文章で書いていきたいと思います。
私はこの時期、もっぱら第九ばかりを聴くのですが・・・・・
今年は、特に携帯ではバッハの「ヨハネ受難曲」を聴いています。
きっかけは、海上保安庁のヴィデオ流出事件。保安官は義憤でやったようなのですが、私は初めから公務員としての行動規範としてはどうなのかを考えていました。
どうやら、いろんな情報を総合しますと、ちょっと問題があったような感じですね。
流した本人、そして流された政権側、ともに問題あるなあと感じています。
そこで考えたのが、ヨハネで表現されているイエス、だったのです。
いずれ、ヨハネ受難曲はマイ・コレで取り上げる予定なので、あまり詳しくは書きませんが、ヨハネのテクストは、「義を貫く人間性」なのです。正しいことは正々堂々と対処する。それがヨハネで表現されているイエスです(一方、マタイではもっと俗っぽい、悩みぬく姿が描かれます)。
いろんな気持ちが保安官にはあったと思います。わたしも義を大事にする人間なので、気持ちは痛いほどわかるんです。でも、組織には定められたやり方というものがあって、それを犯してしまうと、職を失うことになります。
幸い、罪人になったわけではありませんから、人生がここで終わってしまったわけではありませんが、もったいないなあという気がしました。これまで積み上げてきたものがあったはずだと思います。
たしかに、それを政権側が悪いというのは簡単なんですが、それをこらえないと・・・・・
幸い、失職はないようですが、その可能性も十分ありました。
イエスは、自分を売り渡した人間を批判せず、ただピラトには自分の「義」を貫き通し、その姿勢からピラトをすら「彼は果たして罪人だろうか」というところまで心を動かしてゆきますが、ピラトも人の子。キリストを磔刑にするしか、方法はなかった・・・・・
いつ聴きましても、そのドラマは私の心をとらえて離しません。
いずれ、また詳しくお話しいたしましょう。