かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:アンサンブル・ジュピター第21回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年9月20日に聴きに行きました、アンサンブル・ジュピターさんの第21回定期演奏会のレビューです。

アンサンブル・ジュピターさんは東京のアマチュアオーケストラです。早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の卒業メンバーが設立した団体です。

ensemblejupiter.com

以前より何度か足を運んでいる団体ですが、もうその実力はセミプロと言っても過言ではないレベルです。今年もスプリングコンサートに足を運んでいますし、前回の第20回はベートーヴェンの第九だったこともあり、それも足を運んでいます。いずれも素晴らしいパフォーマンスを聴かせていただいたため、今回も足を運んだ次第です。私自身は中央大学出身ですが、実は卒業サークルは早稲田大学とも親交があるので、早稲田大学にはシンパシーを持っています。

今回の曲目は以下の通りです。アンコールはありませんでした。

オール・ブルックナー・プログラム
ブルックナー 弦楽のためのアダージョ
ブルックナー 交響曲第5番

と言うか、このプログラムだとアンコールは要らないかと・・・

ブルックナー 弦楽のためのアダージョ
ブルックナー交響曲が多く室内楽はあまり作曲していないのですが、特に有名な室内楽曲が弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112です。実はこの弦楽五重奏曲の第3楽章アダージョは、ブルックナー自身が管弦楽版へ編曲をしています。通常はその版もコンサートピースとして扱われ、「弦楽五重奏曲(管弦楽版)」とクレジットされることが殆どです。

ja.wikipedia.org

さて、弦楽五重奏曲には二つの編成があります。

1.第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス
2.第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリン・第1ヴィオラ・第2ヴィオラ・チェロ

ja.wikipedia.org

ブルックナーの弦楽五重奏曲は、2.を採用しています。なので本来は管弦楽版でもコントラバスは入らないはずなのですが、今回、編成にはコントラバスが入っています。つまりブルックナーの本来の編成とは異なるのです。実は今回、指揮者であり音楽監督で、ご自身も団員と同じく早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の卒業生である安藤亮さんがコントラバスを入れた編成に編曲しなおしています。それを今回「弦楽のためのアダージョ」として演奏されました。

私はオリジナルの弦楽五重奏曲も、管弦楽版も聴いたことがありますが、それでも重厚かつ美しい作品で好きなのですが、コントラバスが入るとさらに重厚さが増し、深みが増して聴こえてきました。そしてもちろん、レベルの高いアンサンブル・ジュピターさんの演奏。やせた弦の音など全く聴こえてこず、力強さの中に繊細さも同居する素晴らしい演奏です。

もしかするとですが、安藤氏は、コントラバスも入れたほうがよりよいのでは?と思ったのではと想像します。ブックレットには「団員一人一人の個性を思い描きながら」とありますが、それはもしかすると、編成としてコントラバスを入れたほうが、ブルックナー先生、良かったのでは?という批判精神から来ているのではと思います。早稲田と言えば実はクラシックの評論でも幾人かを排出している大学なので、安藤氏もその人たちにもまれたのではないかなあと思います。それが今回の再編曲に繋がり、いい方向に行ったように思われます。こういうこともまた、アマチュアを聴く醍醐味です。

ブルックナー 交響曲第5番
ブルックナー交響曲第5番は、1875~1879年にかけて作曲された作品です。ちょうど時代的には弦楽五重奏曲と重なっており、今回は意識してアンサンブル・ジュピターさんはプログラムに入れてきたと言えます。なお、この第5番はブルックナー自身による別の版が存在せず、後世の校訂者による版のみとなっています。それだけ、ブルックナーのオリジナリティがよく残っている作品だと言えます。

ja.wikipedia.org

オーケストラが取り上げる範囲としてはウィーン古典派だと、アンサンブル・ジュピターさんのウェブサイトには記載がありますが、それならブルックナーは範疇の外だと思ってしまいます。しかし実際にはブルックナーの音楽は保守的であり、ウィーン古典派からの伝統の範疇に入ると言えます。私の中ではブルックナーは後期ロマン派の最後の作曲家という位置づけなので、特に違和感はないです。それに比べればマーラーは同じく後期ロマン派とはいえかなり革新的ですから・・・

なので、アンサンブル・ジュピターさんの中では全く問題がないのではないでしょうか。そのリスペクトが演奏を貫いていました。宗教的なエッセンスが散りばめられているとはいえ、どこかデモーニッシュな音楽が繰り広げられるのが第5番ですが、ブルックナー終止も随所に多用され、どことなくオルガンの響きを感じる作品です。その魂を、安藤氏はまさにゆったりとしたテンポを採用することで際立たせていました。

同時に、リズムも意識した演奏にははっきりと生命力を感じます。人間の魂が何か「いと高きもの」を望む、或いは祈っているように聴こえてくるのです。

演奏時間は優に80分を超えますが、それが全く飽きることなく圧倒言う間に過ぎ去っていきます。私が年齢を重ねたということもあるとは思いますが、ブルックナー交響曲となるとプロでも単にゆったりと悠然と演奏するというものも散見されますが、今回のアンサンブル・ジュピターさんの演奏は生き生きとしているのです。ゆえに飽きることが全くなく音楽に没頭していきます。途中美しすぎて寝墜ちそうになりますが、それでも耳だけははっきりと音楽を聴いています。それだけアンサンブル・ジュピターさんの演奏は「惹きつける魅力」にあふれたものでした。

で、チケット代は1000円・・・プロの演奏でああだこうだ、高い金払っているんだからという声をSNSでもよく目にしますが、ならばアマチュアのコンサートに足を運ばれたらいかがでしょう。特にこのアンサンブル・ジュピターさんはおすすめです。レベルも高いですし私は満足しなかった演奏会は一度もありません。今回も高いレベルで酔いしれていました。それを1000円という超バジェットプライスで経験できるのですから・・・仮にあまりよくなくても、1000円なら何とか気持ちの整理もつけることが出来ましょう。ですがそんな経験をすることはアンサンブル・ジュピターさんならまず皆無です。

彼等も働きながら練習して研鑽を積んだうえで本番に臨んでいるはずです。我が母校日大三高野球部元監督の小倉全由おぐまさよし)氏の座右の銘は「練習は嘘をつかない」です。ゆえに2度、日大三高夏の甲子園で小倉監督の下で優勝を遂げています。アンサンブル・ジュピターさんもおそらく同じように練習をしっかり遣ったうえで本番に臨んでいるはずです。私自身も元合唱団員で、本番でしっかりとしたパフォーマンスを出すには練習をしっかり遣らないとダメなのは体でわかっている人間です(そもそも、音楽監督だった故守谷弘も合唱指揮の遠藤正之氏も小倉監督と同じ言葉を発していた人でした)。それが高いレベルのパフォーマンスにつながっていることはほぼ間違いないと思います。安藤氏もまた同じように、練習を大事にされている方なのではないでしょうか。ですが働きながら練習を確保するということがどれほど大変なことか・・・そのうえでのハイパフォーマンスですから。

その点では、また次回も楽しみです。なんと次回はニューイヤーコンサートだそうで、モーツァルトの「ジュピター」を演奏するとのこと。ジュピターさんがジュピターを演奏するという、まさに正月に相応しい夢のような内容。さらにスプリングコンサートではブラームスのヴァイオリン協奏曲をジェラール・ブーレをソリストに向かえて演奏!どちらも杉並公会堂ということで、ワクワクが止まりません!

 


聴いて来たコンサート
アンサンブル・ジュピター第21回定期演奏会
アントン・ブルックナー作曲
弦楽のためのアダージョ 弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112第3楽章安藤亮編曲管弦楽
交響曲第5番変ロ長調WAB105
安藤亮指揮
アンサンブル・ジュピター

令和7(2025)年9月20日、東京、杉並、杉並公会堂大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

バッハカンタータ全曲逐語訳34 カンタータ第35番「霊と魂はうろたえるなり」BWV35 Geist und Seele wird verwirret BWV35

第1部Erster Teil
      
1. シンフォニアSinfonia
Oboe I/II, Taille, Violino I/II, Viola, Organo obligato, Continuo    
      
2. Aria A
Oboe I/II, Taille, Violino I/II, Viola, Organo obligato, Continuo    

Geist und Seele wird verwirret,
霊と魂はうろたえるなり、
Wenn sie dich, mein Gott, betracht'.
汝、我が神を、見つめるときは。
    Denn die Wunder, so sie kennet
 なぜならばその奇蹟を、彼らが知り
    Und das Volk mit Jauchzen nennet,
 そしてその民衆が歓声をもって呼ぶがため、
    Hat sie taub und stumm gemacht.
 彼らは聾者と唖者になりにけり。
      
3. レチタティーヴォ(アルト)Recitativo A
Continuo    

Ich wundre mich;
我は驚嘆す。
Denn alles, was man sieht,
全て、人が見るものが、
Muss uns Verwundrung geben.
必ず我らを驚かせるためなり。
Betracht ich dich,
見つめるなり我は汝、
Du teurer Gottessohn,
汝愛される神のみ子を、
So flieht
さすれば消え去るなり
Vernunft und auch Verstand davon.
理性とまた分別が我より。
Du machst es eben,
汝は均すなり、
Dass sonst ein Wunderwerk vor dir was Schlechtes ist.
さもないと奇蹟の御業汝の御前のを取るに足らないものにするがためなり。
Du bist
汝は
Dem Namen, Tun und Amte nach erst wunderreich,
名、行いそして職務において第一の奇蹟の王国なり、
Dir ist kein Wunderding auf dieser Erde gleich.
不思議なことは存在せずこの地上で汝に比肩するような。
Den Tauben gibst du das Gehör,
耳が聴こえぬ者を汝は聴こえるようにし、
Den Stummen ihre Sprache wieder,
口がきけぬ者を話せるようにす再び、
Ja, was noch mehr,
然り、さらには、
Du öffnest auf ein Wort die blinden Augenlider.
汝は開けるなり言葉によりその盲目の瞼を。
Dies, dies sind Wunderwerke,
これら、これらは奇蹟の御業なり、
Und ihre Stärke
そしてそれらの力は
Ist auch der Engel Chor nicht mächtig auszusprechen.
天使の合唱が表現しきれぬほど強力なり。
      
4. アリア(アルト)Aria A
Organo obligato, Continuo    

Gott hat alles wohlgemacht.
神は全てを善くしたもう。
Seine Liebe, seine Treu
神の愛、神の誠実さは
Wird uns alle Tage neu.
我らの全ての日々を新たにしたもう。
Wenn uns Angst und Kummer drücket,
我らが不安と心痛に押しつぶされるとき、
Hat er reichen Trost geschicket,
神は豊かな慰めを贈り給う、
Weil er täglich für uns wacht.
神は毎日我らを見守り給うがため。
Gott hat alles wohlgemacht.
神は全てを善くしたもう。
      
     第2部Zweiter Teil
      
5. シンフォニアSinfonia
Oboe I/II, Taille, Violino I/II, Viola, Organo obligato, Continuo    
      
6. レチタティーヴォ(アルト)Recitativo A
Continuo    

Ach, starker Gott, lass mich
ああ、偉大なる神よ、我に
Doch dieses stets bedenken,
まさにこのことを常に思い出させるべし、
So kann ich dich
さすれば我は汝を
Vergnügt in meine Seele senken.
愉し気に我が魂の内に浸し能うなり。
Lass mir dein süßes Hephata
汝の甘きフェファタが
Das ganz verstockte Herz erweichen;
全ての頑なな心を和らげんことを。
Ach! lege nur den Gnadenfinger in die Ohren,
ああ!あてるべしただその慈悲深き指をその耳に、
Sonst bin ich gleich verloren.
さもなくば我は失われるも同様なり。
Rühr auch das Zungenband
触れたもうまたその舌の小帯を
Mit deiner starken Hand,
汝の強き御手にて、
Damit ich diese Wunderzeichen
我がこれらの奇蹟の印を
In heilger Andacht preise
聖なる信仰により讃え
Und mich als Erb und Kind erweise.
そして我を相続人と子供と同じであると証明するがため。
      
7. アリア(アルト)Aria A
Oboe I/II, Taille, Violino I/II, Viola, Organo obligato, Continuo    

Ich wünsche nur bei Gott zu leben,
我は望むなりただ神と共に生きることを、
Ach! wäre doch die Zeit schon da,
ああ!まさにその時がすでにそこに来たりなば、
Ein fröhliches Halleluja
喜びのハレルヤを
Mit allen Engeln anzuheben.
天使と共に歌い能うなりや。
Mein liebster Jesu, löse doch
我が愛するイエスよ、解き放したもうまさに
Das jammerreiche Schmerzensjoch
その悲惨に満ちた苦しみの軛より
Und lass mich bald in deinen Händen
そして我をすぐに汝の御手の内で
Mein martervolles Leben enden.
我が苦悶に満ちた人生を終えさせたもう。

 


※原語歌詞は

https://webdocs.cs.ualberta.ca/~wfb/cantatas/35.html

を使用しました。ここに感謝の意を表します。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~:府中市立図書館~:スメターチェクとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団他によるオルフ三部作2

東京の図書館から、2回に渡り取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヴァ―ツラフ・スメターチェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団他による、カール・オルフの「勝利三部作」を収録したアルバム、今回はその第2回目です。「勝利三部作」の内、カトゥーリ・カルミナと「アフロディーテの勝利」の演奏を取り上げます。

このアルバムは2枚組で、この2曲はその2枚目に収録されています。とはいえ、実は「カトゥーリ・カルミナ」の内第1曲だけは1枚目に収録されています。このエントリでは便宜上、2枚目と一緒にご紹介します。二つを一緒に聴きますと、演奏時間は1時間17分・・・そりゃあ、「カトゥーリ・カルミナ」の第1曲目だけを1枚目にせざるを得ないでしょう、CDだと・・・その意味では、この「勝利三部作」こそ、現代のDLもしくはストリーミングサービスで聴くべき作品だと言えます。

その理由は、以前私が上げたエントリで言及している通り、この「勝利三部作」には一つのストーリーがあり、恋愛や性行為から結婚へと至る道を示しているからです。そのうえで、性行為を排除せず至高のものとすら捉えている作品です。

ykanchan.hatenablog.com

ゆえに、個人的にはそれぞれを単独で聴くよりは、一緒に聴いた方がいいと思っています。すでにケーゲルのがあるにもかかわらず、このスメターチェク指揮のを借りてきたのも、この三部作は一所に聴くべきだと考えているが故です。しかも、この三部作を収録したアルバムは、意外と西側のオーケストラでは少ないのです(少なくとも私は認識をしていません)。

全体的に生き生きとした演奏にはなっていますが、私としてはケーゲルのほうが好きかな、という気がします。演技しつつ、人間の内面、欲望というものがしっかりと表現されているのはケーゲルの方だからです。

だからと言って、このスメターチェク指揮のがダメというわけではありません。実はこの演奏、いろんなブログでカトゥーリ・カルミナの歌詞をテーマにしているエントリで紹介されている録音なので有名な演奏ですし、確かに生命力ある演奏ではあるのですが、より素晴らしいのは私としてはケーゲルの方です。さすがにまだスメターチェクが若かったかなという気もします・・・ちなみに録音は、「アフロディーテの勝利」が1963年、「カトゥーリ・カルミナ」が1965年です。とはいえ、スメターチェクも50代ですが・・・

ある意味、その50代という年齢が、多少若々しさというか、性(セックス)に対して保守的になっているかなあ、という気がします。テンポは速めですが、この2つ、「カトゥーリ・カルミナ」と「アフロディーテの勝利」に関しては、テンポが速ければいいというものではなく、むしろリズム重視で音を立てるというほうがより適切だと感じます。それはオルフがリトミックや演劇など、体の動きというものを重視していたからですが、個人的にはそれはオルフなりのバロック・リスペクト、ひいては祖国の巨匠、ヨハン・セバスティアン・バッハへのリスペクトだと感じています。その点でも、もっとリズムを協調し、音を立たせてもよかったになあと思うのです。ですが齢50となると、さすがに老いを感じるところで、性に対してどこか距離を取ろうとしてしまいます。そこが演奏に際し障害になったかなあという気がします。

その点では、むしろこの21世紀に入ってからの録音も聴きたいところですが、「カルミナ・ブラーナ」だともう選ぶのが大変なほどありますし実際私も飯森範親指揮のを持っています。ですがそれ以外の「カトゥーリ・カルミナ」と「アフロディーテの勝利」となるとさっぱりです。三部作をまとめたアルバムが待たれるところですね。

最近世界も保守的になっているせいか、なかなかこの「三部作」を演奏し、アルバムを出そうという試みは実現できていないようです。ですがこの混迷した時代だからこそ、性(セックス)と結婚という関係性を振り返り、考えるきっかけにするためにも、新しい録音も必要なのではないかという気がしてます。勿論、このスメターチェク指揮の演奏も現代でも十分耐えうる演奏ではありますが、現代ならもっと表現できるのになあと思うと、残念なんです。

ちなみに、この2枚目はオーケストラはプラハ交響楽団に変わっています。生きの良さという点では、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団よりもプラハ交響楽団のほうがよくは聴こえますが、たまたまだと思います。オーケストラが変わったのは、恐らく「カトゥーリ・カルミナ」の変則的な編成があると考えています。その変則的な編成に応じたのが、プラハ交響楽団だったのだろうなあという気がします。また、このアルバムも一応当時のチェコスロヴァキア社会主義民共和国のプロパガンダもあったと考えれば、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団だけではく他にも素晴らしいオーケストラがあるということを紹介したかったということもあるでしょう。今ではチェコ・フィルハーモニー管弦楽団だけでなくプラハ交響楽団も素晴らしいオーケストラであることは広く知られていますが、1960年あたりはそれほどでもなかったはずですし。

ただ、この演奏ではそのプラハ交響楽団が、リズムを重視した演奏にしっかりと応じ、作品の魂を掬い取ることに成功しています。その連続性を持った「アフロディーテの勝利」でもそれは引き続いており、生命力あふれる演奏を楽しむことができます。合唱団とソリストも、この2枚目の2曲では、歌うことに囚われず、まるで舞台演劇のようにふるまっているのも魅力的。ケーゲル版には劣るとはいえ、やはり東欧の合唱団の、ノンビブラート発声による歌唱は、素朴さと妖しさも同居し、人間の魂の躍動が伝わってきます。そのうえで時々聴こえるビブラート発声もアクセントになっており、西欧のビブラート発声のみよりも豊かな世界が広がっています。この点も、いまだに愛される演奏である理由の一つでしょう。

ですが、今は21世紀。できるだけ早く、この録音を乗り越える演奏、そしてアルバムが出ることを期待します。

 


聴いている音源
カール・オルフ作曲
カトゥーリ・カルミナ
アフロディテの勝利
ヘレナ・タッテルムスホヴァ―(ソプラノ)
イヴォ・ジーテク(テノール
マルタ・ボハーチョヴァ―(ソプラノ)
オルドルジヒ・リンダウアー(テノール
カレル・ベルマン(バス)
チェコフィルハーモニー合唱団(合唱指揮:ヨゼフ・ヴェセルカ)
ヴァ―ツラフ・スメターチェク指揮
プラハ交響楽団

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バッハカンタータ全曲逐語訳33 カンタータ第34番「おお永遠の炎よ、おお源よ愛の」BWV34 O ewiges Feuer, o Ursprung der Liebe BWV34

1. 合唱Coro
Tromba I-III, Tamburi, Oboe I/II, Violino I/II, Viola, Continuo    

O ewiges Feuer, o Ursprung der Liebe,
おお永遠の炎よ、おお源よ愛の、
Entzünde die Herzen und weihe sie ein.
火を付けたまえ心にそして聖別せたまえそれを。
    Lass himmlische Flammen durchdringen und wallen,
 天の炎を貫かせ湧き上がらせたもう、
    Wir wünschen, o Höchster, dein Tempel zu sein,
 我らは望む、おお至高なる者よ、汝の神殿になることを、
    Ach, lass dir die Seelen im Glauben gefallen.
 ああ、汝にその魂が信仰のうちに気に入られさせたまえ。
      
2. レチタティーヴォテノール)Recitativo T
Continuo    

Herr, unsre Herzen halten dir
主よ、我等の心は守るなり汝に対し、
Dein Wort der Wahrheit für:
汝の真実の言葉を。
Du willst bei Menschen gerne sein,
汝は人のそばにいることを好まれたもう、
Drum sei das Herze dein;
ゆえにその心を汝のものとするなり。
Herr, ziehe gnädig ein.
主よ、入り給え慈悲深く。
Ein solch erwähltes Heiligtum
そのような選ばれし聖域は
Hat selbst den größten Ruhm.
得るなりそれ自身最大の名声を。
      
3. アリア(アルト)Aria A
Flauto traverso I/II, Violino I/II con sordino, Viola con sordino, Continuo    

Wohl euch, ihr auserwählten Seelen,
幸いなり、汝ら選ばれし魂よ、
Die Gott zur Wohnung ausersehn.
その魂を神は住まいと選ばれし。
    Wer kann ein größer Heil erwählen?
 誰が能うなりやより偉大な救いを選ばれることを?
    Wer kann des Segens Menge zählen?
 誰が能うなりや祝福の多さを数えたることを?
    Und dieses ist vom Herrn geschehn.
 そしてこれらは主によりなされたもう。
      
4. レチタティーヴォ(バス)Recitativo B
Continuo    

Erwählt sich Gott die heilgen Hütten,
選ばれるなり神は聖なる幕屋を、
Die er mit Heil bewohnt,
彼が救いと共に住まわれる幕屋を、
So muss er auch den Segen auf sie schütten,
ゆえに彼はまたその救いを彼らに注ぐべきなり、
So wird der Sitz des Heiligtums belohnt.
さすれば聖域の御座は報われん。
Der Herr ruft über sein geweihtes Haus
主は宣せらたもうつののある家(教会)へと
Das Wort des Segens aus:
この救いの言葉を。
      
5. 合唱Coro
Tromba I-III, Tamburi, Oboe I/II, Violino I/II, Viola, Continuo    

Friede über Israel.
平和がイスラエルにあれ。
Dankt den höchsten Wunderhänden,
感謝せよ至高の奇跡の御手に、
Dankt, Gott hat an euch gedacht.
感謝せよ、神は汝らを顧みたもうたなり
    Ja, sein Segen wirkt mit Macht,
 そう、彼の祝福は働くなり力をもって、
    Friede über Israel,
 平和をイスラエルに、
    Friede über euch zu senden.
 平和を汝らに届けるために。

 


※原語歌詞は

https://webdocs.cs.ualberta.ca/~wfb/cantatas/34.html

を使用しました。ここに感謝の意を表します。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スメターチェクとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団他によるオルフ三部作1

東京の図書館から、今回と次回の2回シリーズで、府中市立図書館のライブラリである、ヴァ―ツラフ・スメターチェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団他による、カール・オルフが作曲した「勝利三部作」を収録したアルバムを取り上げます。

オルフは20世紀ドイツの作曲家で、「勝利三部作」で知られています。そのうち最も有名なのは「カルミナ・ブラーナ」でしょう。

ja.wikipedia.org

このアルバムには、その「勝利三部作」が収録されています。全部で2枚組。確かに、時間的には2枚で済むのですが、ただ問題は、その配分です。以前、このブログでも「勝利三部作」を収録したアルバムをご紹介していますが、その時も1枚目にどうしても「カトゥーリ・カルミナ」が来てしまっています。

ykanchan.hatenablog.com

実は今回取り上げるアルバムも、同様に「カトゥーリ・カルミナ」の第1曲だけが一緒に収録されています。今回は便宜上、それを次回に回し、カルミナ・ブラーナのみを取り上げます。東欧のオーケストラだとこれがスタンダードなのでしょうか・・・上記エントリで上げたCDのレーベルはブリリアント・クラシックスでしたが、恐らくもとはドイツ・シャルプラッテンだったのではと思っています。今回取り上げるアルバムはスプラフォンです。なのでやはり東欧のレーベル。倣った可能性は高いですね~。

さて、録音は1961年。「プラハの春」より7年前ですが、その萌芽が垣間見えるかのような、生き生きとした演奏は、さすがスメターチェクだと思います。ただ、これはケーゲルの時にも指摘しましたが、中間部「酒場にて」で多少どうもなあと思ってしまう部分もあります。焼かれた白鳥なのですから、もっと悔しがらないと・・・やっぱり、歌ってしまっているんですよねえ、全体的に「酒場にて」は。演技してほしいところです。

それと、合唱は本当に素晴らしいのですが、エロティックさという点では欠ける部分もあります。健康的な美しさというか・・・私自身は「カルミナ・ブラーナ」には、妖しい耽美主義が貫かれていると感じているので、スメターチェクのこの解釈に対しては多少否定的です。特にそれが現れているのが「おいでおいで」。これは性行為の時の喘ぎ声を表現したものとも言われますが、それがなんとも健康的。まあ、そういう性行為もありますが・・・そのあたりは、社会主義国家の限界だったのかもしれません。それへのアンチが、7年後「プラハの春」で爆発したとも言えそうです。

ja.wikipedia.org

勿論、健康的な部分も「カルミナ・ブラーナにはあるので健康的なアプローチが間違っているわけではありません。「カルミナ・ブラーナ」はそもそも、オルフが若い時に培った、リトミックなどの運動や演劇を目指すといったことが反映されているので、健康的なアプローチが間違っているわけではありません。ですが「カルミナ・ブラーナ」には人間の情念も強く反映されている作品です。それが時として擬人化もされているわけで、そこで運動という健康的なアプローチだけというのは、私自身としては違和感を感じるところです。健康的なアプローチと怪しい耽美主義とどっちもあって初めて「カルミナ・ブラーナ」です。なのでそのバランスが取れていれば最高の演奏なんですが・・・そこが残念です。

となると、さて次の「カトゥーリ・カルミナ」や「アフロディーテの勝利」は一体どうなるのかが、注目になることでしょう。

 

 

 

聴いている音源
カール・オルフ作曲
カルミナ・ブラーナ
ミラダ・シュブルトヴァ―(ソプラノ)
ヤロスラフ・トマーネク(テノール
テオドル・シュルヴァルジ(バリトン
キューン児童合唱団(合唱指揮:マルケータ・キューノヴァ―)
チェコフィルハーモニー合唱団(合唱指揮:ヨゼフ・ヴェセルカ)
ヴァ―ツラフ・スメターチェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:TGY合唱団第11回演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年9月13日に聴きに行きました、TGY合唱団さんの第11回演奏会のレビューです。

TGY合唱団さんは、東京のアマチュア合唱団です。テノール歌手であり指導者でもある山本義人さんを団長として設立された団体です。

r.goope.jp

創立が2008年なので、17年の歴史を持つということになります。ここまでにもクラシックの大曲や日本の合唱曲も歌ってきている団体です。私はチラシを確か5月にもらったと思いますが、その時からずっと気になっていた団体で、今回足を運んだ次第です。それにしても9月は合唱もいろんな団体の演奏会がありまして本当に悩んだのですが、決め手はプログラムでした。

今回のプログラムは以下の通りです。

ブラームス 運命の歌
ブラームス 哀悼の歌
モーツァルト レクイエム

ブラームスの二つの曲は合唱をやっている人だと知っている名曲ですが、クラシックファンの中では知名度はいまいち低い作品です。この二つは私の中では傑作と捉えており、また「運命の歌」は私自身歌ったことがある作品でもあったため、今回TGY合唱団さんを選択した次第です。またモーツァルトのレクイエムも団の実力が出やすい曲でもあり、どんな演奏になるのだろうかと興味を持ったのも選んだ理由の一つです。

なお、今回はアンコールはありませんでした。

ブラームス 運命の歌
ブラームスの「運命の歌」は、1868~71年にかけて作曲され、1871年に初演された、管弦楽混声合唱のための作品です。ドイツの詩人ヘルダーリンの詩に曲を付けたものです。

ja.wikipedia.org

ブラームスはアマチュア向けの合唱曲も数多く書いた作曲家ですが、この曲は見た目とは異なり、アマチュアにとってはとても難しい曲の一つです。旋律は簡単なように見えても、高音部で極めて弱いppなどもあり、ふんわりとした雰囲気を出すのがとても難しい作品です。私も歌ったことがありますが、第1部が本当に大変で、美しいppで表現するのにとても苦労した作品の一つです。声というのは人間の息でもありますが、その息をどうコントロールするかが重要な作品で、実はとても高いレベルの歌唱力が要求される作品です。というかブラームスってそんな曲ばかり書くのですよね・・・

その実体験があったからこそ、アマチュアでこの曲を歌うのか!と興味をもったわけでした。というか日本ではこの曲がプロで歌われることが少ないのが・・・少なくとも日本のアマチュア合唱団にはそれだけのチャレンジ精神は十分あります。

さて、今回の演奏ですが、その弱音の部分では多少音が強いと感じました。ホールは晴海の第一生命ホール。比較的大きなホールではありますが、とはいえミューザ川崎東京芸術劇場に比べますと大きくはなく、アマチュアが思い切った表現ができるホールだと思います。もう少し冒険してもよかったかなという印象はあります。私が歌った時は本当に第1部を徹底的に練習したのですが、それはアマチュアが最も不得手とする、弱音の表現が求められるからだったのです。

その観点で言えば、今回のTGYさんは完全に「逃げていた」と言えるでしょう。ただそれはしょうがない部分もあります。私の時は実は「運命の歌」だけだったのですが、今回はそのほかに2つも歌うわけで・・・練習が追い付かないという点もあったのでは?と思います。私の母校日大三高野球部元監督の小倉さんの合言葉は「練習は嘘をつかない」ですが、これはアマチュア合唱団でも一緒です(実際宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」の音楽監督だった亡くなられた守谷弘も同じことを言っていたため合唱指揮の遠藤先生には徹底的に練習させられました)。とはいえ、練習時間は限られているわけですから、優先順位を付けざるを得ません。高校球児のように無限に練習できるわけでもないので・・・そのため、なるべく失敗しない、それほど弱くはないppを表現として選んだのだと思います。この辺りは指揮者と音楽監督、指導者が一緒ということが有利に働いたと言えましょう。

アンサンブルは素晴らしいですしソプラノがぶら下がっているわけでもなく、美しい旋律がそこに存在しています。第2部に入ってからは水を得た魚のように生き生きとした演奏に変わっていましたので、恐らく練習で第1部では相当苦労されたんだろうなあと思います。それほど、ブラームスの「運命の歌」という曲は実は難曲なんです。本来は東京混声合唱団が歌ってもいいくらいの曲なんです。それでも一定のレベルをたたき出すTGYさんはさすがです。

またオーケストラであるアンサンブル・ジムニカさんが素晴らしい!寄せ集めだとは思いますが高いレベルの演奏です。おそらく全員プロの方だと思いますが、そう考えると指揮者の山本さんが第1部で多少強めに歌わせたのはオーケストラとバランスをとるためだったと言えるでしょう。この辺りもプロの歌手が指揮をしている利点でもあるかと思います。

ブラームス 哀悼の歌
ブラームスの「哀悼の歌」は、1880~81年にかけて作曲され、1881年に初演されたオーケストラと混声合唱のための作品です。ブラームスの友人であった画家、フォイエルバッハの死をきっかけに作られました。死がテーマになっていますが、それが人の死ではなく芸術の死であること、そして歌詞の内容からギリシャ神話の知識が必要であることも特徴です。作詞はドイツの詩人、シラーによるものです。

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この曲も実はそれなりに柔らかい発声と表現が必要な作品で、求められるレベルは「運命の歌」とほぼ同じです。ただ多少この「哀悼の歌」のほうが簡単とは言えます。「運命の歌」ほどの弱いppが求められるのは本当に歌い出しだけなので、あとは多少強めでも十分っ表現できるからです。

今回の演奏も、明らかに歌いやすく感じているという印象を受けました。ppも含めてより生き生きと歌えているんです。それと、恐らくですがこの「哀悼の歌」の方が歌い出しの音が高い、ということもあるでしょう。「運命の歌」は実は歌い出しはアルトパートで、低めの音で始まりますが、この「哀悼の歌」はソプラノパートから歌いだすので比較的音が高いので、その分歌いやすかったということはあるかと思います。詩人がヘルダーリンではなくシラーだったということもあったかもしれません。この二人の詩の特徴は異なることが多いので、当然ブラームスもその特徴をとらえて違いを付けて作曲しているわけで、差がついて当然ですし、音楽的に異なっても当然だと言えます。その分、合唱団は楽だったのではないかと思います。その意味では、アマチュアがもっと歌ってもいい作品なのではないでしょうか。その代わり歌詞の意味を理解するにはそれなりのギリシャ神話の知識が必要になりますが・・・

モーツァルト レクイエム
モーツァルトのレクイエムは、1791年に作曲された「死者のためのミサ曲」です。ただ、生前には演奏されず死後初演されました。他者の葬儀のためにかかれたという有名なエピソードが残っていますが、妻のコンスタンツェが楽譜を手許に遺しておいたことでモーツァルトの作品だとされました。ただ完成はせず弟子のジュスマイヤーが補筆して完成されているため、現在でも様々な版が存在することになっています。通常はジュスマイヤー版が選択されます。

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今回はジュスマイヤー版が選択されており、楽譜はベーレンライターでした。なぜそれがわかるかと言えば、ベーレンライターだと大抵楽譜が青表紙だからで、今回も青だったのでベーレンライターを使ったのだとわかりました。私は2階席でしたがばっちりそれは判りました。ゆえに第一生命ホールはそれほど大きいホールとは言えないんです。勿論小さくもないですが。アマチュアにはうってつけのホールです。

演奏は、ここでは合唱団が本当に生き生きと歌っているのですが、多少荒っぽい部分もあったかなと思います。特段ぶら下がっているわけではないのですが・・・後は、音が上下に動く時に音が切れ気味なのも多少気になりました。レガートで歌っている部分もあるのでこれは指揮者の山本さんの指示だと思います。この辺りは解釈の違いもあるのでそれが間違っているとは言えませんが、私は遠藤正之氏の薫陶を受けたものなので、気になりました。私自身も歌ったことのある曲なので細部まで覚えている作品ですが、これも粗が目立ちやすい曲ですのでその点では前回歌った時から時間も経っているということも、理由の一つだったのかもと思います。人間って年取りますからね・・・それと、メンバーの入れ替えだってあります。TGY合唱団さんには若い人もかなりいらっしゃいますが、ミサ曲を歌いなれているわけではないということもあります。そうなるとなかなか音が上下するような作品を歌いなれてはいないメンバーもいることになりますし、また以前歌ったメンバーも歳をとるわけで、そんなメンバー構成の中ではなかなかすべてをレガートに歌うことは難しいと思います。

その条件の中では、素晴らしいパフォーマンスだったと思います。全体的に力強くも美しいアンサンブルが貫かれていましたし、それが各曲に於いて繊細な表現にもつながっていました。ソリストの歌唱とのバランスも良く、アマチュア合唱団としてはかなり高いレベルの団体だと思います。

またオーケストラは室内管弦楽団の編成のため、オルガンがはっきり聴こえていたのも素晴らしい!なかなかモーツァルトのレクイエムだとオルガンの音が聞き取れないこともしばしばですが、今回オルガンの音が聞き取れたのは素晴らしい経験でした。その意味では、指揮者の山本さんは、合唱団の経済力もあるかと思いますが、そもそも今回の3つの作品が必ずしも大編成で演奏されなかったのではという見識に基づいているように思われます。ブラームスの2つの曲も合唱団はおそらくアマチュアだったでしょうし、モーツァルトのレクイエムも初演時は現在のフルオーケストラからは少ない人数で演奏されたはずですし、オーケストラの人数も少なかった時代です。今回オルガンを含め28人。通常の半分以下です。それでもしっかりアンサンブルは成立し音楽は鳴っています。その意欲的な編成に果敢に挑戦したTGYさんの心意気を感じます。そのアンサンブル・ジムニカさんとすでに幾度も共演しているという経験がなせる業でしょう。

全体的にレベルの高い素晴らしい演奏でした。次回は来年の秋とのことですが、そこは実はFBFが参加している合唱団も予定されているので、バッティングしなければ是非とも足を運びたく思います。

 


聴いて来たコンサート
TGY合唱団第11回演奏会
ヨハネス・ブラームス作曲
運命の歌 作品54
哀悼の歌 作品82
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
レクイエム ニ短調K.626
櫻井愛子(ソプラノ)
谷地畝晶子(アルト)
西山詩苑(テノール
浅井隆仁(バリトン
石川=マンジョル優歌(オルガン)
末永千湖(コンサート・ミストレス)
アンサンブル・ジムニカ
山本義人指揮
TGY合唱団

令和7(2025)年9月13日、東京、中央、第一生命ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

バッハカンタータ全曲逐語訳32 カンタータ第33番「汝ただ一人のみに、主イエス・キリストよ」BWV33 Allein zu dir, Herr Jesu Christ BWV33

1. コラール合唱Coro
Oboe I/II, Violino I/II, Viola, Continuo    

Allein zu dir, Herr Jesu Christ,
汝ただ一人のみに、主イエス・キリスト
Mein Hoffnung steht auf Erden;
我が希望はあるなり地上で。
Ich weiß, dass du mein Tröster bist,
我は知るなり、汝が我が慰め主であり、
Kein Trost mag mir sonst werden.
慰めは我に他には与えられないであろうことを。
Von Anbeginn ist nichts erkorn,
初めから選ばれることなく、
Auf Erden war kein Mensch geborn,
地上に何人も生まれることなし、
Der mir aus Nöten helfen kann.
我を苦しみより救い能う者は。
Ich ruf dich an,
我は呼びかける汝に、
Zu dem ich mein Vertrauen hab.
我が我が信用を置く汝に。
      
2. レチタティーヴォ(バス)Recitativo B
Continuo    

Mein Gott und Richter, willt du mich aus dem Gesetze fragen,
我が神そして裁き主よ、汝が我に律法について尋ねたいなれば、
So kann ich nicht,
我は出来かねる、
Weil mein Gewissen widerspricht,
我が良心に反するがため、
Auf tausend eines sagen.
千人に対して一つのことを言うことは。
An Seelenkräften arm und an der Liebe bloß,
魂の力に対し弱くそして愛に対しむき出しなり、
Und meine Sünd ist schwer und übergroß;
そして我が罪は重くかつ非常に大なり。
Doch weil sie mich von Herzen reuen,
だが彼等が我に心より悔い改めたがゆえ、
Wirst du, mein Gott und Hort,
汝、我が神であり砦であるは、
Durch ein Vergebungswort
赦しの言葉により
Mich wiederum erfreuen.
我を再び喜ばせたもう。
      
3. アリア(アルト)Aria A
Violino I con sordino, Violino II, Viola, Continuo    

Wie furchtsam wankten meine Schritte,
どれほど臆病にふらつきたるや我が足取りは、
Doch Jesus hört auf meine Bitte
しかしイエスは聞きたもうた我が願いを
Und zeigt mich seinem Vater an.
そして導きたもうたなり我を彼の父の許へと。
    Mich drückten Sündenlasten nieder,
 我を押しつぶしたなり罪の重荷が下へと、
    Doch hilft mir Jesu Trostwort wieder,
 しかし救いたもうたなり我をイエスの慰めの言葉が再び、
    Dass er für mich genung getan.
 彼が我のために十分にしたもうたがため。
      
4. レチタティーヴォテノール)Recitativo T
Continuo    

Mein Gott, verwirf mich nicht,
我が神よ、見捨てるなかれ我を、
Wiewohl ich dein Gebot noch täglich übertrete,
我は汝の戒めを已然日々犯しているにもかかわらず、
Von deinem Angesicht!
汝の御前より!
Das kleinste ist mir schon zu halten viel zu schwer;
最も小さきことでさえ我には耐え切れず重すぎて、
Doch, wenn ich um nichts mehr
しかし、我がもはや
Als Jesu Beistand bete,
ただイエスの助けだけを祈るなら、
So wird mich kein Gewissensstreit
良心の葛藤が
Der Zuversicht berauben;
我が確信を奪うことなからん。
Gib mir nur aus Barmherzigkeit
与えよ我にただ慈悲により
Den wahren Christenglauben!
真のキリスト教の信仰を!
So stellt er sich mit guten Früchten ein
ゆえに彼は良き果実として身を結び
Und wird durch Liebe tätig sein.
そして愛を通して活動するなり。
      
5. 二重唱アリア(テノール、バス)Aria (Duetto) T B
Oboe I/II, Continuo    

Gott, der du die Liebe heißt,
神よ、汝愛と呼ばれし者よ、
Ach, entzünde meinen Geist,
ああ、火を付けよ我が魂に、
Lass zu dir vor allen Dingen
汝に対し何よりも
Meine Liebe kräftig dringen!
わが愛を力強く浸透させよ!
Gib, dass ich aus reinem Triebe
与えよ、我が純粋な衝動より
Als mich selbst den Nächsten liebe;
あたかも我自身の如く隣人を愛することを。
Stören Feinde meine Ruh,
乱すなら敵が我が安らぎを、
Sende du mir Hülfe zu!
送り給う汝我に助けを!
      
6. コラール合唱Choral
Oboe I e Violino I col Soprano, Oboe II e Violino II coll' Alto, Viola col Tenore, Continuo    

Ehr sei Gott in dem höchsten Thron,
栄光あれ至高の玉座におわす神に、
Dem Vater aller Güte,
全ての善なる父に、
Und Jesu Christ, sein'm liebsten Sohn,
そしてイエス・キリスト、彼の最愛の息子に、
Der uns allzeit behüte,
我らを常に保護する者に、
Und Gott dem Heiligen Geiste,
そして聖霊なる神、
Der uns sein Hülf allzeit leiste,
我等に助けを常に授けたもう者を、
Damit wir ihm gefällig sein,
同時に我らは親切にす、
Hier in dieser Zeit
ここでこの時
Und folgends in der Ewigkeit.
そしてその次も永遠に。

 


※原語歌詞は

https://webdocs.cs.ualberta.ca/~wfb/cantatas/33.html

を使用しました。ここに感謝の意を表します。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。