かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ヤンソンスとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラー交響曲第3番

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラー交響曲第3番のアルバムを取り上げます。2枚組ですが今回は一つとして取り扱います。

マーラー交響曲第3番は最も演奏時間の長い曲としても知られている作品で、合唱パートもある作品です。

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この録音でも、演奏時間は1時間38分10秒。いやあ、長い・・・マーラー交響曲が演奏される場合はほとんどカップリングがないということが多く、この第3番は典型だと言えます。これに休憩を含めると2時間なので・・・まあ、ショスタコーヴィチ交響曲を主に演奏するオーケストラ・ダスビダーニャの定期演奏会では2時間30分というコンサート時間になることもありますのでマーラーの第3番でもあり得なくはないですが・・・

ですが、つい最近、NHKの「クラシック音楽館」でもNHK交響楽団マーラー・フェスティバルに招待された演奏が紹介されましたが、意外とその演奏時間が苦にならずあっと言う間に過ぎていきました。図らずも、この演奏もオーケストラがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(かつてのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)なので、当然ホールはアムステルダムのコンセルトヘボウ。NHK交響楽団マーラー・フェスティバルで演奏したホールと同じなのです。その意味では、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団はむしろマーラー交響曲を演奏し慣れていると言えます。古いクラシックファンであれば、結構ご存じだとは思いますが。

コンセルトヘボウの響きは、あまりぼんやりせずオーケストラの各セクションの音が意外とはっきりと聴こえるのが特徴だと個人的には感じますが、NHK交響楽団と同様、このロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏でも同様でむしろよりくっきりと各セクションの音が聴こえてきます。それはさすがフランチャイズオーケストラだと言えるでしょう。

作品はニーチェの思想とキリスト教とが同居しているのが特徴で、二つは対立するかのように書かれることが多いのですが、個人的にはそれほど対立しているように思いません。むしろこれが19世紀~20世紀初頭のヨーロッパに於ける精神世界だったろうと思います。マーラーは当時、ユダヤ教徒であったがために差別を受けており、この第3番を作曲した当時も同様です。それがゆえにキリスト教に改宗せざるを得なかったわけですが、本来宗教が関係ない時代であればそんな差別はないはずなのです。ですが実際は改宗を余儀なくされているわけで、それは明らかにいまだヨーロッパに宗教が根付いていた時代だと言えるわけです。教会の権威や権力が落ちて世俗権力が握っただけであり、その中でのニーチェの思想であり、その精神性をマーラーが理解していたからこその作品だと言えます。

その意味では、よく言われる「神なき時代の宗教」ではなく、実際には神がいるわけで、その神を絶対視せず相対化して人間の精神を探求したのがニーチェであるとも言えるわけです。その点を、指揮者であるヤンソンスは十分に踏まえているように思います。その当時の精神世界が織りなされている音楽を、明確に示した演奏だと言えます。

それはまた、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団というオーケストラが、マーラーの薫陶を受けた指揮者によりたたき上げれた伝統に基づくがためとも言えます。祖国オーストリアでは迫害を受けたマーラーですが、外国に於いて評価を受けていたわけです。その歴史に立脚している演奏です。

またソリストと合唱団も表現力豊か。コンセルトヘボウの明瞭な響きが、合唱団が歌う歌詞も明瞭にさせており、テクストがわかりやすたがため、あっという間に演奏が過ぎ去っていきます。難解だと思われがちなマーラーの精神世界が、くっきりと浮かび上がり、一つのしっかりとしたテクストがあることを知ると、何と豊かで感慨深い内面なのかと思わざるを得ないのです。その説得力がある演奏になっています。しかも、女声合唱と児童合唱という意味も、演奏が語っているのも素晴らしい!人間の欲望、それがなす「十戒」を犯す行為。その救済のために神に祈るということ・・・明らかに一つにつながっているわけです。世界とは何ぞやと、マーラーが二つの合唱のテクストも借りて語ることを、明確に示した演奏だと言えるでしょう。

 


聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第3番ニ短調(カール・ハインツ・フュッスル校訂版
ベルナルダ・フィンク(メゾ・ソプラノ)
オランダ放送女声合唱団
レダサクラメント児童合唱団
ラインモンド児童合唱団
マリス・ヤンソンス指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

バッハカンタータ全曲逐語訳31 カンタータ第32番「愛しまつるイエス、我が望みよ」BWV32 Liebster Jesu, mein Verlangen BWV32

対話Dialogus
魂(ソプラノ)Seele (S), イエス(バス)Jesus (B)
      
1. アリア(ソプラノ、魂)Aria S
Oboe, Violino I/II, Viola, Continuo    

Liebster Jesu, mein Verlangen,
愛しまつるイエス、我が望みよ、
Sage mir, wo find ich dich?
教えたまえ我に、どこで見出すや我は汝を?
Soll ich dich so bald verlieren
我は汝をこれほど早く失い
Und nicht ferner bei mir spüren?
そして今後われの中で感じてはならぬなりや?
Ach! mein Hort, erfreue mich,
ああ!我が宝よ、喜ばせよ我を、
Lass dich höchst vergnügt umfangen.
汝を強く楽しげに抱きしめさせよ!
      
2. レチタティーヴォ(バス、イエス)Recitativo B
Continuo    

Was ists, dass du mich gesuchet? Weißt du nicht, dass ich sein muss in dem, das meines Vaters ist?
何故、汝我を探しておるや?汝知らぬのか、我は必ずそこにいることを、我が父のところに?
      
3. アリア(バス)Aria B
Violino solo, Continuo    

Hier, in meines Vaters Stätte,
ここ、わが父の場所に、
Findt mich ein betrübter Geist.
見出すなり我を悲しき精神は。
    Da kannst du mich sicher finden
 そこに汝は我をおのずと見出し
    Und dein Herz mit mir verbinden,
 そして汝の心を我と結びつけ能うなり、
    Weil dies meine Wohnung heißt.
 それが我が住まいと呼ばれるゆえ。
      
4. レチタティーヴォ(対話、ソプラノ、バス)Recitativo (Dialog) S B
Violino I/II, Viola, Continuo    

魂(ソプラノ)Seele (S), イエス(バス)Jesus (B)
ソプラノSopran
Ach! heiliger und großer Gott,
ああ!聖なる偉大な神よ、
So will ich mir
ならば我は
Denn hier bei dir
ゆえに汝のそばで
Beständig Trost und Hülfe suchen.
変わらぬ慰めと助けを探し求めん。
バスBass
Wirst du den Erdentand verfluchen
汝が地上の虚栄を呪い
Und nur in diese Wohnung gehn,
そしてただこの住まいに入らんとすれば
So kannst du hier und dort bestehn.
汝はここ(天国)でもそちら(地上)でも受け入れ能うなり。
ソプラノSopran
Wie lieblich ist doch deine Wohnung,
何と好ましいことか汝の住まいは、
Herr, starker Zebaoth;
主よ、力強き万軍の主よ、
Mein Geist verlangt
我が精神は願う
Nach dem, was nur in deinem Hofe prangt.
それ、ただ汝の宮廷で輝くものを。
Mein Leib und Seele freuet sich
我が肉体と魂は喜ぶなり
In dem lebendgen Gott:
生ける神を。
Ach! Jesu, meine Brust liebt dich nur ewiglich.
ああ!イエスよ、我が胸は愛す汝をただ永遠に。
バスBass
So kannst du glücklich sein,
ならば汝は幸せになり能う、
Wenn Herz und Geist
心と精神が
Aus Liebe gegen mich entzündet heißt.
我への愛で燃え上がる時。
ソプラノSopran
Ach! dieses Wort, das itzo schon
ああ!この言葉は、いまや必ず
Mein Herz aus Babels Grenzen reißt,
我が心をバビロンの境界より引き離す、
Fass' ich mir andachtsvoll in meiner Seele ein.
抱きしめるなり我は敬虔に満ちて我が魂を。
      
5. 二重唱アリア(ソプラノ、バス)Aria (Duetto) S B
Oboe, Violino I/II, Viola, Continuo    

両者beide
Nun verschwinden alle Plagen,
今消え去るなり全ての苦しみは、
Nun verschwindet Ach und Schmerz.
今消え去りたり悲嘆と苦痛は。
ソプラノ(魂)Sopran
Nun will ich nicht von dir lassen,
今我は汝より離れたくなし、
バス(イエス)Bass
Und ich dich auch stets umfassen.
そして我は汝をまた変わらず抱くなり。
ソプラノ(魂)Sopran
Nun vergnüget sich mein Herz
今楽しむなり我が心は
バス(イエス)Bass
Und kann voller Freude sagen:
そして喜びに満ちてこう言い能う
両者beide
Nun verschwinden alle Plagen,
今消え去るなり全ての苦しみは、
Nun verschwindet Ach und Schmerz!
今消え去りたり悲嘆と苦痛は!
      
6. コラール合唱Choral
Oboe, Violino I/II, Viola, Continuo    

Mein Gott, öffne mir die Pforten
我が神よ、開けよ我にその門を
Solcher Gnad und Gütigkeit,
そのような恵みと親切の門を、
Lass mich allzeit allerorten
我にいつでもどこでも
Schmecken deine Süßigkeit!
味わせよ汝の甘き味を!
Liebe mich und treib mich an,
愛したもう我をそして駆り立てたもう我をそちらへ、
Dass ich dich, so gut ich kann,
さすれば我は汝を、われが出来る限り、
Wiederum umfang und liebe
再び抱きしめ愛し
Und ja nun nicht mehr betrübe.
そしてもはやひどく悲しませることなし。

 


※原語歌詞は

https://webdocs.cs.ualberta.ca/~wfb/cantatas/32.html

を使用しました。ここに感謝の意を表します。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マイスターとウィーン放送交響楽団によるマルチヌー交響曲全集3

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、コルネリウス・マイスター指揮ウィーン放送交響楽団によるマルチヌーの交響曲全集、今回はその第3回目、最終回です。第3集を取り上げます。収録曲は交響曲第5番と第6番の2つです。

マルチヌーの交響曲はこの第3集に収録されている作品あたりから軽めのものが多くなっていると言いますが、私自身は少なくともこの二つの交響曲に関しては、戦争が終わったということが大きく影響していると感じています。その理由は、共に3楽章制であるがゆえにテーマが「自由」であると想像できるから、です。

交響曲第5番
マルチヌーの交響曲第5番は、1946年に作曲、初演された作品です。初演は第2回「プラハの春」音楽祭ででした。

この時期、マルチヌーはバークシャー音楽センターの講師を務めた際、宿舎のバルコニーから転落し大けがを負ってしまいます。その後遺症は障害を負ったと言ってもいいくらいのものでしたので、それが第5番にも影響しているという言及もありますが、個人的にはそれほど大きな理由と思っていません。やはり祖国チェコが解放され、新しい歩みを始めたということが大きいと感じます。それが端的に表れているのが、明るい旋律とリズム、そして3楽章制です。3楽章制をロマン派以降の作曲家が採る場合、それはテーマが「自由」であることを示しているためです。マルチヌーもおそらく、祖国チェコが解放されたことを祝い、3楽章制を採用したと考えていいでしょう。第2回「プラハの春」音楽祭で初演されたこと、そして献呈がその初演のオーケストラだったチェコ・フィルハーモニー管弦楽団に対してであることを鑑みますと、ますますテーマは「自由」であるとしか考えられないからです。

そこに、自身の大けががあったため、苦しい中でも明るく未来を見据えたいという意識がより働いたと考えていいでしょう。それをどう演奏で表現するかが注目点になるわけです。

マイスターはオーケストラに、あまり速いテンポを要求せず、丁寧な演奏を指示しています。それが提示するのは、何と歌の世界。オーケストラに徹底的に歌わせます。第5番の演奏では珍しいくらいに歌わせるのです。それが織りなすのは抒情の世界。耽美的と言ってもいいくらいですが、健康的な明るさも散見され、やはりこの曲のテーマは解放され自由になった祖国への想いだろうと受け取れるのです。おそらく、マイスターも同じ解釈をしているものと思われます。そのうえで、マルチヌー自身が負った障害が重なっていると見ているのではと感じられます。その意味では、チェコの指揮者やオーケストラよりも更に作曲家の内面も掬い取った演奏だと言えるでしょう。見事な演奏です。

交響曲第6番
マルチヌーの交響曲第6番は、1953年に作曲された作品です。交響的幻想曲と題され、フランスの作曲家ベルリオーズに敬意を表してつけられています。この第6番だけはアメリカではなくヨーロッパで作曲された作品です。一方初演はアメリカで、1955年1月7日にシャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団によります。そもそもがボストン交響楽団からの委嘱でした。

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マルチヌーは祖国チェコへの帰国を願っていましたが、1948年の政変で共産党が政権を握ったため実現せず、西欧諸国に移住という決断になっています。その時間軸で考えますと、帰れなくなった祖国への望郷の想いと苦しみが、作品を覆っていると言っていいでしょう。複雑な調性を選んだのは、それこそベルリオーズ幻想交響曲の、あの目くるめく幻想の世界が自らと重なる点が多かったからとも言えるでしょう。それが幻想的交響曲という標題につながったと言えます。

そのうえで、この第6番も3楽章制です。ベルリオーズ幻想交響曲に完全に倣ったのであれば5楽章制を採用するはずなのに、3楽章制なのは明らかに共産党政権になったことで祖国の解放を願い、テーマを「自由」としたが故だと言えます。そこに、帰国できずに狂うマルチヌーに去来したのが、ベルリオーズ幻想交響曲だっとすれば、なるほどこうなるよなあと言う構成です。

その点を最大考慮した、バランスのいい演奏になっています。正確には幻想と言うよりは本人からすれば幻聴や幻覚に支配されており、その原因が祖国にあるという構造を如何に理解し、表現するかなのですが、そこをホールの響きも利用し、明確なサウンドを構築して、祖国への想いへと昇華させる想いを演奏で表現しています。マイスターのこの辺りの解釈はさえていますね~。それに共感するオーケストラも生き生きとしています。現代でもマルチヌーが経験した、似たようなことは多くの場所で起きているという悲しい現実が、団員たちに共感の嵐を起こしているようにすら聴こえます。ゆえに私の心をぐさりと貫いていきます。

マルチヌーがこの第6番に込めたのは、祖国に帰国できないというようなことが未来には起こってほしくないという、強烈なメッセージであるように受け取れますし、また指揮者とオーケストラも同じように受け取っていると感じます。マルチヌーの特にこの2つの交響曲はこの21世紀により演奏されていく作品になっていきそうです。その意味でも、この録音はこれからまた重要になっていくことでしょう。

 


聴いている音源
ボフスラフ・マルティヌー作曲
交響曲第5番H.310
交響曲第第6番「交響的幻想曲」H.343
コルネリウス・マイスター指揮
ウィーン放送交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:井上道義指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるマーラー交響曲第5番

今月のお買いもの、2か月ぶりになります。今回は井上道義指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるマーラー交響曲第5番です。今回は初めて、ソニーのmoraネットストアでの購入です。flac44.1kHz/16bitです。つまりは、CD音質です。

この録音はポニーキャニオンから出ていましたが、現在ではエクストンから第4番・第5番・第6番との3枚組となっています。そっちはCDがヒットしますが、ハイレゾだとどうなんでしょう・・・録音が1990年前後なので、もしかするとハイレゾでは出てないかもしれません。まあ、私はPCにおいてTune Browserで192kHz/32bitにリサンプリング再生して聴いているのであまり問題はないのですが。

今回CD音質であっても購入を決めたのは、やはり普段の視聴環境がPCにおいてTune Browserで192kHz/32bitにリサンプリング再生ということが大きな決め手です。たとえCD音質であってもそれで充分ハイレゾに似た音質で聴くことができるからです。

ですがそもそも、この音源の購入を決めたのは、府中市立図書館で一度借りているから、です。実はその時、音飛びが激しく、特に後半第5楽章あたりで聴ける状況ではなかったことが理由です。その時にリッピングをあきらめ、Qobuzで購入を決めたのですがヒットせず(国内レーベルあるあるです)、そのため検索をかけましたらmoraでヒットしたのです。moraは通常私が購入しているストアではないですが、この辺りはさすがソニーさんで、国内レーベルでもそれなりの品ぞろえではあるので、購入の機会をうかがっていました。しかも最近、決済手段を複数持つことになりまして、moraだと使えるため、今回購入に至りました。

さて、この演奏は録音が1990年5月9日、ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでです。昨年の2024年に井上道義氏は引退していますが、この録音はそれよりも34年前ということになります。井上氏は当時44歳。まだ若手と呼ばれていた時代。ですが極めてオーソドックスな演奏になっています。

ですがそのオーソドックスなスタイルはロンドンの聴衆を驚かしたようで、最後の拍手は残響が終るか終わらないかというタイミングで始まっています。しかもブラヴォウ連発。如何にロンドンの聴衆を魅了したか、驚かせたかがうかがえるものとなっています。

勿論、悪く言えば平凡なのですが、日本人がその平均レベルをたたき出すのか!という驚きが、残響が終るか終わらないかでの拍手や、ブラヴォウ連発につながっていると感じます。一方で第4楽章のとても静謐なppでの開始や美しさ、そして第5楽章の段々盛り上がっていくヴォルテージ等、聴いていて秘かに感動する部分です。実はそれに私自身も感動して、これはせっかくなので購入したいと思ったわけです。通常はリッピングできなければ「まあ、しょうがない、縁がなかったと考えよう」とそのままです。ですがそれがもったいないので購入したいと思うのは、やはり魂が揺り動かされたが故です。ロンドンの聴衆もおそらく、同じ部分で感動したのではと想像されます。

井上氏自身が、そのルーツをアメリカに持つ人なので決して単純ではないということが、特にマーラーにおいては有利に働いているように思われます。

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そのルーツを知ったのはこの録音の翌年だったようですが、うすうす自分のルーツに気が付いていたのではという気がします。その精神性が作品の解釈につながっているように聴こえるのです。マーラー交響曲は本当に一筋縄ではいかないので・・・それがまた魅力ですが、その魂を掬い取る解釈は素晴らしいです。その解釈をしっかりと音にする、世界一流のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団もさすがです。

またもう一つこの演奏の素晴らしさは、マーラーの第5番だと多少ぼやかす演奏も多い中で、意外としっかりとディテールが聞き取れることです。会場のロイヤル・フェスティバルホールも残響時間は比較的長いホールですので、ぼやけた演奏にすることも可能ですが、井上氏は決してそれを選択せず、ディテールがしっかりしている演奏を選択しています。そのぼやけたということが作品の魂ではないと断じているかのようです。それは実は私自身も肯定的で、マーラー交響曲においては、英語で言えばeveryであってallではない、ということです。つい古典派以来の音楽だとともすればトゥッティはallと同じ解釈をされがちですが、実はそうではなく、各楽器の個性が一つのアンサンブルとして成立するという考え方です。マーラーの音楽はさらにそれを進めて、複雑な旋律の絡み合いが精神の複雑さへと至っているわけで、まさにドイツ語のアウフヘーベンそのものです。井上氏はそこをしっかりと踏まえた演奏になっているのが、聴衆をして熱狂へといざなった理由でしょう。

その割には、大阪フィルとのショスタコーヴィチの第7番「レニングラード」では、奇をてらった演奏をしているように思われます。やはり大阪府大阪市からの圧力があったとしか考えられないのです。それでわたしたちクラシックファンは満足してしまっていいのだろうかと、考えざるを得ないのです。その点で、橋下氏ははっきりと芸術に関し何ら知識を持っていない人だったと言わざるを得ず、果たして大阪関西のクラシック音楽シーンは今後安泰なのだろうかと、危惧せずにいられないのです。

 


買ってきたハイレゾ
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第5番嬰ハ短調
井上道義指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ポニーキャニオン flac44.1kHz/16bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:ミューザ川崎市民交響楽祭2025を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年8月31日に聴きに行きました、ミューザ川崎市民交響楽祭のレビューです。

ミューザ川崎市民交響楽祭は毎年8月にミューザ川崎で行われているコンサートです。川崎アマチュアオーケストラ連盟に加盟する4つの団体が持ち回りで幹事を務めています。昨年は宮前フィルハーモニー交響楽団でしたが、今年は麻生フィルハーモニー管弦楽団が幹事を務めました。なお、代表は宮前フィルハーモニー交響楽団団長の土肥さんです。

kawasakiamaoch.jimdosite.com

私の中では、8月のミューザと言えばフェスタ・サマーミューザとこの市民交響楽祭です。フェスタ・サマーミューザがプロオケの祭りであり、市民交響楽祭はアマチュアオーケストラの祭りです。市民交響楽祭では4つのオーケストラから参加者を集い、かわさき市民オーケストラとして演奏をします。交響楽団の名を使わないのは、すでに連盟に加盟している団体に川崎市交響楽団があるからです。

かわさき市民オーケストラとしての演奏はこのミューザ川崎市民交響楽祭だけで、年末のかわさき市民第九では4つのオーケストラが持ち回りで担当しています。今年は川崎市交響楽団が担当と発表がありました(なおそちらは今年は府中市民第九と重なるため今回は行きません)。

今回の幹事オケは麻生フィルハーモニー管弦楽団。実はまだこの麻生フィルハーモニー管弦楽団だけはコンサートに足を運んでいない団体です。それ以外の団体は一度は足を運んだことがあるのですが、現在東京に住む私としては宮前フィルハーモニー交響楽団以外はなかなか行けずにいます。それだけ東京のアマチュアオーケストラが充実しておりレベルも高いからですが、川崎市内のアマチュアオーケストラも年々そのレベルを上げてきているのも確かです。今回ちょうど宮前フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でチケット販売をしていたことから購入しました。当日も各団体のブースが設けられ定期演奏会のチケット販売もしていました。割引で買えるのもお得。川崎市内の方は一度は足を運ばれてはいかがでしょうか。

さて、今回のプログラムは以下の通りです。基本的にはレスピーギの「ローマ三部作」なのですが・・・

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

あれ?ローマの松が抜けていますねという、ア・ナ・タ。そうなんです、なぜかローマの松だけ抜けています。これには実は仕掛けがありました・・・

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」
レスピーギは19~20世紀のイタリアの作曲家です。有名な作品が「ローマ三部作」と言われる交響詩群で、ローマの噴水はその第1作目にあたります。ローマにある4つの噴水の情景を表現したもので、通常は楽章がないことが多いのですがこの曲は4楽章制と古典的な交響曲を思わせる形式を取っています。ただ、ソナタ形式などがはっきりと使われているわけではなくそのためカテゴライズとしては交響詩になります。

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マチュアオーケストラでもこのローマ三部作はコンサートピースの一つにはなっていますが演奏頻度は少ないと個人的には感じます。それは編成がとにかく大規模だからということがあります。特に川崎の4つのアマチュアオーケストラは市民オケなのでなかなか人数が集まらず、ゆえに4つの団体相互でエキストラをやり取りもしているとのこと。そこが東京のアマチュアオーケストラとは異なる点です。東京にも市民オーケストラはありますが圧倒的に多いのはネットなどでつながって居住地関係なく集まっているアマチュアオーケストラが多いのです。これが東京とそれ以外の地域との明確な差です。

ゆえに、レスピーギの作品を演奏するということはまさに今回のようなコンサートで実現できることだと言えます。さらに、この曲にはオルガンも必要。それも今回のコンサートにぴったりです。ミューザ川崎にはホールオルガニストがいらっしゃいまして、それがこのブログでも何度か取り上げている大木麻里さん。ミューザ川崎サン=サーンス交響曲第3番「オルガン付き」が演奏されるときは必ずと言っていいほど駆り出されるオルガニストです。今回も実はソリストなのですがしれっとかわさき市民オーケストラ2025のメンバーに名を連ねていました。今年ホールオルガニストとしての任期が最終年度ということもあり、そこでオルガンが活躍する曲をということだったのかもしれません。またオーケストラメンバーとして名を連ねるということは、恐らくですが大木さんが任期を全うされるということで実現した企画だったのではと思います。またそれだけ4つのアマチュアオーケストラが信頼されているということでもあるかと思います。

ミューザ川崎建設には、さいか屋の会長であられた岡本さんが関わっており、私も宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」で同じ団員でした。その岡本さんの理念が今回大木さんの参加という形に結実したのかもと思うと、感無量です。

作品が大規模であるがゆえに、パイプオルガンの響きと何と溶け合うことか!かつオーケストラにはやせた音が一切聴こえず、表現力も豊か。パイプオルガンが加わることで単なる風景を切り取ったものではなくそこには悠久の歴史の流れすら感じさせる作品ですが、まさにその時の流れを想起させるだけの説得力があるのです。それがアマチュアオーケストラの演奏で味わえて、かつオルガニストは一流・・・なんと贅沢な時間でしょう!しかし、当日の贅沢はこれで終わらなかったのです。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ラフマニノフは19~20世紀のロシアの作曲家ですが、後にアメリカへ移住しています。作品はロシアにいた時に大部分が作曲され、このピアノ協奏曲第2番もそのうちの一つです。交響曲第1番が酷評されたことからうつ病を発症し、癒えた後に成立した作品としても知られています。そのせいなのか、特に第1主題が始まる前のまるで鐘の音が鳴っているかのような出だしが特徴的です。

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今回ピアニストは三舩優子さん。今回もまたビッグネームが登場です。指揮者の和田さんもこれまた比較的知る人ぞ知るという方で、海外や国内オケを数多く指揮されている方。タクトも明確でわかりやすいのはオーケストラにとっては演奏しやすかったのではないでしょうか。

また三舩さんのピアノもロマンティシズムにあふれ抒情的。それにしっかり協奏するオーケストラ。ppからffまでのダイナミクスも表現の幅が広く豊か。目をつぶって聴いていればおそらくプロオケだとはなかなか気づきにくいと思います。かろうじて金管が時折不安定になることでアマチュアオーケストラだとわかるくらいのレベルの高さ。それを聴いてしまえばピアニストも力入りますよね~。最初のまるで鐘が鳴るような重々しい曲は、第3楽章では喜びの歌に変わり壮麗に終わります。ソリストもオーケストラも喜びを分かち合うような演奏でした。

鳴りやまぬカーテンコールに後押しされ、ソリストのアンコール曲は同じラフマニノフの「鐘」。ラフマニノフがその音型に込めた想いを掬い取るような、感情のこもった演奏はさすが三舩さんでした。

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」
レスピーギの「ローマの祭り」は、彼が作曲した「ローマ三部作」の最後を飾る作品で、1928年に完成されました。ローマで行われる祭が歴史の時系列で並べられています。

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この曲の第1楽章「チルチェンセス」はローマ皇帝ネロが開催した見世物。ここで扱われているのはその前座として行われた人間VS動物の対決で、その中でも人間がキリスト教徒である場面を切り取っています。バンダ隊が参加しますがそれは祭りのファンファーレの役割を担っており、当日はパイプオルガンの脇、正面から見て左側に陣取りました。キリスト教徒を表現するのはパイプオルガンで、これは大木さんが演奏。ここでは「ローマの噴水」のように壮麗にオルガンが鳴り響くということはなくむしろ呻き声のような感じ。このあたり大木さんの表現力が光ります。その点ではバンダ隊の力強いファンファーレと静かに呻くようなパイプオルガンとの対比もまた素晴らしかったです。

第2楽章の50年祭では一転、キリスト教ローマ帝国の国教となりその後滅んだあとヨーロッパに広がった後のロマネスク時代のローマが舞台。ここでもまたオルガンは静かな演奏に徹します。レスピーギがこの曲に込めたのはローマの噴水同様、単なる風景ではなくそこに至る歴史の流れのように感じます。またその解釈が舞台上にあがっているメンバー全員に共有されていると感じます。

優美な第3楽章を経て、第4楽章は主顕祭。時代はすでに現代まで来ており、その名からは程遠いようなどんちゃん騒ぎが描かれます。その騒ぎっぷりの表現も素晴らしい!酔っぱらいも散見されもうそれこそお祭り騒ぎ。まあ、私も諏訪の御柱でよく見た光景です。ですがこの曲で描かれる騒ぎっぷりは御柱をはるかに超え、もう収拾が付かないくらい・・・それをまたしっかりと表現されているのもアマチュアオーケストラだと気付かないくらいです。

またここでわかるのが、祭りがテーマになっていますが実は裏テーマがキリスト教の変遷です。迫害から国教化、そして大衆化して、近代では権威が失われどんちゃん騒ぎにという歴史を踏まえたものにもなっているわけです。それを踏まえた演奏でこれもまた唸りました。

さて、プログラムはここで終わりですが素晴らしい演奏でカーテンコールは鳴りやまず。ですが私は不思議に思っていました。実はパイプオルガンの両脇に譜面台があったのですがバンダ隊が鎮座したのは最後のローマの祭りだけ。片方はいまだ使われていません。ということはアンコールで使われることを意味しています。さて、何がアンコールで来るのかとワクワクしていました。ソリストは同じラフマニノフだったので、恐らくオーケストラは同じレスピーギで来るのではないか、と。

じきにソリストの三舩さんが、団員が弾いていたピアノに座ります。え?三舩さんがオーケストラのアンコールでも?と驚くのはまだ早いです。オルガニストの大木さんもその場を離れず新しい譜面を出してセットしているではありませんか!そこに登場したのが新たなバンダ隊。そこには宮前フィルハーモニー交響楽団の団長で川崎アマチュアオーケストラ連盟の代表の土肥さんがトロンボーンをもって他3名とともにスタンバイ。ここでほぼローマの松ではないかと予想。その予想が見事的中!アンコールはレスピーギの「ローマの松」最終楽章、アッピア街道の松だったのです!

ソリストの三舩さんと、団員に名を連ねてはいますがホールオルガニストであるため事実上のソリストの一人である大木さんのコラボレーション・・・なんと贅沢な!静謐な音楽がやがて圧巻の壮麗さと共に終わる音楽はまるで夢見心地・・・最後私もついにブラヴォウ!をかけました。アマチュアオーケストラの祭典に相応しい、全員が参加しての大円団でした。これもまた、大木さんへの感謝の印だったのかもしれません。4つのアマチュアオーケストラから参加した団員たちとソリストとの連帯もまた素晴らしい時間でした。

来年は高津市民オーケストラか川崎市交響楽団が幹事となるはずですが、いまや東京都民の私ですが来年もまた聴きに行きたいと思うと共に、東京多摩地域でも同様のコンサートを是非とも開いてほしいと願います。府中市交響楽団小金井市民オーケストラ、国立市民オーケストラや小平市民オーケストラ、あるいは学生オケですが中央大学管弦楽団東京外国語大学管弦楽団東京農工大大学管弦楽団など、実力を備えたアマチュアオーケストラはたくさんあります。主会場を府中の森芸術劇場どりーむホールやパルテノン多摩、あるいはJ:COMホール八王子としてミューザ川崎市民交響楽祭のようなコンサートが開かれれば、また違った地平が開かれるように思います。すでに小金井市民オーケストラと小平市民オーケストラとではエキストラの交流が行われており、是非とも実現してほしいと思っています。すでに多摩市民第九で同様の形が取られており、ミューザ川崎市民交響楽祭も毎年のかわさき市民第九から発展したことを踏まえますと、十分下地はできていると感じています。是非ともミューザ川崎市民交響楽祭を参考にしていただきたいと思います。

 

聴いて来たコンサート
ミューザ川崎市民交響楽祭2025
オットリノレスピーギ作曲
交響詩「ローマの噴水」
セルゲイ・ラフマニノフ作曲
ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
幻想的小品集より前奏曲「鐘」嬰ハ短調作品3-3(ソリストアンコール)
オットリノレスピーギ作曲
交響詩「ローマの祭り」
交響詩「ローマの松」より「アッピア街道の松」(オーケストラアンコール)
三舩優子(ピアノ)
大木麻里(オルガン)
和田一樹指揮
かわさき市民オーケストラ2025

令和7(2025)年8月31日、神奈川、川崎、幸、ミューザ川崎シンフォニーホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

バッハカンタータ全曲逐語訳30 カンタータ第31番「天は笑う!地は歓喜す」BWV31 Der Himmel lacht! die Erde jubilieret BWV31

1. Sonata
Tromba I-III, Tamburi, Oboe I-III, Taille, Fagotto, Violino I/II, Viola I/II, Violoncello I/II, Continuo    
      
2. 合唱Coro
Tromba I-III, Tamburi, Oboe I-III, Taille, Fagotto, Violino I/II, Viola I/II, Violoncello I/II, Continuo    

Der Himmel lacht! die Erde jubilieret
天は笑う!地は歓喜
Und was sie trägt in ihrem Schoß;
そしてその膝に抱くものも歓喜す。
Der Schöpfer lebt! der Höchste triumphieret
創造主は生きているなり!いと高き者は勝利し
Und ist von Todesbanden los.
そして死の束縛より解放されるなり。
Der sich das Grab zur Ruh erlesen,
墓を安息の地と選びたりし者、
Der Heiligste kann nicht verwesen.
神聖な者は朽たること能わず。
      
3. レチタティーヴォ(バス)Recitativo B
Violoncello II, Continuo    

Erwünschter Tag! sei, Seele, wieder froh!
望まれし日よ!あれ、魂よ、再び喜ばしく!
Das A und O,
アルファでありオメガ、
Der erst und auch der letzte,
最初でありまた最後なりし、
Den unsre schwere Schuld in Todeskerker setzte,
我らの重き罪が死の監獄に閉じ込めし者は、
Ist nun gerissen aus der Not!
今引き離されるなりその苦しみより!
Der Herr war tot,
主は死にたもう、
Und sieh, er lebet wieder;
そして見よ、彼は生きたもう再び。
Lebt unser Haupt, so leben auch die Glieder.
生きたもう我等の頭(指導者)が、ゆえに生きるなりまた足(手下)も、
Der Herr hat in der Hand
主は持つなりその手に
Des Todes und der Hölle Schlüssel!
死と地獄の鍵を!
Der sein Gewand
その衣服が
Blutrot bespritzt in seinem bittern Leiden,
血の赤で染められたりしその苦しき受難による彼は、
Will heute sich mit Schmuck und Ehren kleiden.
今日装飾と名誉をまとわれん。
      
4. アリア(バス)Aria B
Violoncello II, Continuo    

Fürst des Lebens, starker Streiter,
生命侯、力強き戦士、
Hochgelobter Gottessohn!
高く讃えられし神の子よ!
    Hebet dich des Kreuzes Leiter
 かけらるるか汝十字架のはしごを
    Auf den höchsten Ehrenthron?
 いと高き名誉の座の上に?
    Wird, was dich zuvor gebunden,
 なるや、汝を縛り付けていたものが、
    Nun dein Schmuck und Edelstein?
 今汝の装飾と宝石に?
    Müssen deine Purpurwunden
 汝の紫の傷は
    Deiner Klarheit Strahlen sein?
 汝の明晰さの放射なりや?
      
5. レチタティーヴォテノール)Recitativo T
Violoncello II, Continuo    

So stehe dann, du gottergebne Seele,
ゆえに立ち上がれ、汝恭順な魂よ、
Mit Christo geistlich auf!
キリストと共に霊的に!
Tritt an den neuen Lebenslauf!
歩め新しき履歴で!
Auf! von des Todes Werken!
立ち上がれ!死の業より!
Lass, dass dein Heiland in der Welt,
あれ、汝の救い主が世で、
An deinem Leben merken!
汝の命を覚えて置かれることが!
Der Weinstock, der jetzt blüht,
ブドウの木、今咲き誇るは、
Trägt keine tote Reben!
死んだ実が実ることなし!
Der Lebensbaum lässt seine Zweige leben!
命の樹はその枝を生かさすなり!
Ein Christe flieht
キリスト教徒は逃げよ
Ganz eilend von dem Grabe!
全く急いでその墓より!
Er lässt den Stein,
彼は捨てたり墓石を、
Er lässt das Tuch der Sünden
彼は捨てたり罪の布を
Dahinten
あっちへ
Und will mit Christo lebend sein.
そして願うなりキリストと共に生きることを。
      
6. アリア(テノールAria T
Violino I/II, Viola I/II, Violoncello I/II, Continuo    

Adam muss in uns verwesen,
アダムは我らの中で朽ち果てねばならぬ、
Soll der neue Mensch genesen,
新たな人間が癒されるためには、
Der nach Gott geschaffen ist.
神に似せて作られたりし人間が。
Du musst geistlich auferstehen
汝は霊的に復活し
Und aus Sündengräbern gehen,
そして罪の墓より離れねばならぬ、
Wenn du Christi Gliedmaß bist.
汝がキリストの四肢であるならば。
      
7. レチタティーヴォ(ソプラノ)Recitativo S
Violoncello II, Continuo    

Weil dann das Haupt sein Glied
頭は肢を
Natürlich nach sich zieht,
自然と引き寄せるがため、
So kann mich nichts von Jesu scheiden.
ゆえに我等はイエスより分けられる能わず。
Muss ich mit Christo leiden,
我はキリストと共に苦しまねばならぬなら
So werd ich auch nach dieser Zeit
我はこの後
Mit Christo wieder auferstehen
キリストと共に再び復活す
Zur Ehr und Herrlichkeit
名誉と栄光のため
Und Gott in meinem Fleische sehen.
そして神を我が肉体において見るなり。
      
8. アリア(ソプラノ)とコラールAria (e Choral) S
Oboe, Violino I/II all' unisono, Viola I/II all' unisono, Violoncello II, Continuo    

Letzte Stunde, brich herein,
最期の時よ、至れここへ、
Mir die Augen zuzudrücken!
汝に眼を閉じさせよ!
Lass mich Jesu Freudenschein
我にイエスの喜びの輝きと
Und sein helles Licht erblicken,
彼の明るき光を見つけさせ、
Lass mich Engeln ähnlich sein!
我を天使のようにさせよ!
Letzte Stunde, brich herein!
最期の時よ、至れここへ!
      
9. コラール合唱Choral
Tromba I, Oboe I-III, Taille, Fagotto, Violino I/II, Viola I/II, Violoncello I/II, Continuo    

So fahr ich hin zu Jesu Christ,
ゆえに往く我はイエス・キリストのもとへ、
Mein' Arm tu ich ausstrecken;
我が腕を我は伸ばすなり。
So schlaf ich ein und ruhe fein,
ゆえに眠る我はそして憩う安らかに、
Kein Mensch kann mich aufwecken,
誰も我を目覚めさせ能わず、
Denn Jesus Christus, Gottes Sohn,
イエス・キリスト、神の子が、
Der wird die Himmelstür auftun,
天国の扉を開け、
Mich führn zum ewgen Leben.
我を連れて行くがため永遠の命へと。

 


※原語歌詞は

https://webdocs.cs.ualberta.ca/~wfb/cantatas/31.html

を使用しました。ここに感謝の意を表します。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マイスターとウィーン放送交響楽団によるマルチヌー交響曲全集

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、コルネリウス・マイスター指揮ウィーン放送交響楽団によるマルチヌーの交響曲全集、今回は第2回目、第2集を取り上げます。収録曲は交響曲第3番と第4番の2つです。

交響曲第3番
交響曲第3番は、1944年に作曲された作品です。ボストン交響楽団の指揮者であったセルゲイ・クーセヴィツキのボストンでの活動20年を記念して書かれました。

ja.wikipedia.org

そのせいか、曲は全体的に暗くまた3楽章制を採用しています。タイミング的にまだ戦争が終わっていないこともありますが、クーセヴィツキがロシア系ユダヤ人ということもあったのではと考えます。3楽章制ということは隠れテーマは「自由」ですから。

この作品は第1楽章の冒頭がとても印象的なのですが、通常の演奏はその一節の最後の音をバサッと切るような演奏にして後は残響に任せるというものが多いのですが、マイスターはオーケストラに最後の音を丁寧に伸ばすという、演奏に於いてはオーソドックスなことを要求しています。それが生み出すのは、秘められた悲しみの感情がにじみ出ること。その悲しみへの共感と、ドイツとオーストリアユダヤ人虐殺あるいは迫害に加担してしまった歴史の重みへの意識が、演奏ににじみ出ているように思われます。

実は、私はマルチヌーと表記していますがCDではマルティヌーと表記されています。それは欧米の表記に従ったとも言えますが、マルチヌーの音楽はもはやチェコのものだけではなく人類が共感できる普遍性を持つものへと変わっていることを示すように思われるのです。それが演奏に、迫害への反省とその苦しみへの共感として表れており、それが第1楽章冒頭を丁寧に演奏することにつながっているのだと思います。

私はバサッと切る演奏のほうが好きですがかといってこの丁寧な演奏がダメとも思いません。戦争で傷ついた人たちの苦しみ、特に迫害され虐殺されたユダヤ人への哀悼の意が込められているとも感じると、心が持っていかれるような印象を持ちます。この曲にこのような表現があったか!と思うとやはりプロは一味違うと感じるところです。

第2楽章以降は他の演奏とあまり変わらず特に第3楽章は音をバサッと切るような演奏になっていますが、むしろそれが第1楽章とのコントラストになっており、余計第1楽章が悲劇の始まりを予感させる、暗い感情が渦巻くように聴こえるのです。マイスターの才能の高さを感じざるを得ません。最後の部分の明るさが救いですがそこに持っていくために3楽章制を採用したマルチヌーの魂を掬い取っているのもまた魅力的な演奏です。

交響曲第4番
交響曲第4番は、1945年に作曲された作品です。マルチヌーの交響曲の内唯一の長調であることも特徴です。第2次世界大戦の後に作曲されたことから、祖国チェコへ帰国できる希望が反映されていると言われています。この曲もアメリカでの作曲です。

楽章は4楽章になっているため古典的な様式をそなえていますが、勿論和声は20世紀音楽であるため不協和音が多用され鳴り響きます。4楽章という形式と不協和音の多様と言うのは、第1番と第2番とに共通する形になっており、まさに祖国への想いが詰まっている作品だと言えます。

その魂を掬い取るかのように、この第4番ではマイスターはこれまた丁寧な演奏をさせています。自分たちが同じ立場だとしたらどう感じるのかという視点から、喜びを分かち合うかのような演奏になっているのもいいです。マルチヌーの音楽がまさにマルティヌーという表記に変わったことの意味を存分に表現しているように聴こえるのは私だけなのでしょうか。

明るい中で時々散見される陰鬱な音も含め、まるで憧憬のように書かれている内容を、実にあこがれをもって、リスペクトして演奏しています。それがまたすばらしく聴いているこちらも喜びに満ちてきます。

マルチヌーの精神を自分事として捉え、表現しているこの演奏は誠に素晴らしいものです。

 


聴いている音源
ボフスラフ・マルティヌー作曲
交響曲第3番H.299(1944年)
交響曲第4番H.305(1945年)
コルネリウス・マイスター指揮
ウィーン放送交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。