かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:安田謙一郎氏によるバッハの無伴奏チェロ組曲

今月のお買いもの、令和3(2021)年5月に購入したものをご紹介しています。今回は安田謙一郎氏のチェロによるバッハの無伴奏チェロ組曲です。e-onkyoネットストアでの購入、ハイレゾ192kHz/24bitです。

いや、ほんとに偶然です。昨日リコーダー版を取り上げたかと思いきや、今日は原曲ですから。意図してではなく全くの偶然です。とはいえ、この曲は私自身好きな曲でもありますので・・・・・

バッハの無伴奏チェロ組曲はCDやリッピングファイルを含めいくつか音源を持っていますが、純然たるハイレゾはなかったので、購入してみようと思ったのが1点、そして実は安田謙一郎氏だからというのが購入のもう一点目でした。というのは・・・・・

Facebookのグループに「クラシックを聴こう!」というグループがあります。非公開の承認制なので、誰でもというわけではありませんが結構有名演奏家などが入っていたりもするグループです。その中で、特徴ある投稿をする人がおりまして、この安田氏の弟子の一人を「王子様」と仰る方がいらっしゃいます。その影響もあり昨年オーケストラWを聴きに行ったりもしています(この時のソリストが「王子様」藤村氏です)。

ykanchan.hatenablog.com

この音源の購入に至ったのは、その藤村氏の師である安田氏だから、というのがあったのです。あの豊潤で温かみのある、歌うチェロを奏する藤村氏の師匠は、どんな演奏をするのだろう?と思ったのが決定打だったと思います。

聴いてみて感じるのは、過度に歌っているわけではないのに、その「歌」をしっかりと感じ取れるということです。時に遊び、歌い、笑い、泣き、はしゃぐ。これらが演奏にしっかりと反映され、ひとつに融合しているんです。これは素晴らしい!

確かに、もっと音響的に大きかったりという演奏は、海外のソリストならありますし、それは望むことはできません。しかしそんな大きな音は要らないって思います。十分自己の世界が確立されているので、聴き手であるこちらにその魂が伝わってくるのです。これは感動ものです、ほんとに。

スマホで聴きますと本当に高解像の音で聴けますが、スピーカーになると一転、むしろホールの響きのほうが目につきます。一瞬またぼやけているかなあという印象も受けますが、曲が進んでくるに従ってそんなことはなく、むしろホール後方で聴いているかのよう。やはりハイレゾは192kHzのほうがいいような気がします。96kHzだと録音にもよりますが、場合によってはついているのなら疑似ハイレゾにできる機能を動作させるほうがいいように思います。

とにかく、スマホあるいはPCどちらで聴いても、空気感を感じる優れた録音であり、演奏もとても人間味あふれるものです。ハイレゾ時代の名演奏と言っても差し支えないのでは?と思います。こんな人間味あふれる演奏をするソリストに習った藤村氏は、某女史氏が言う通り「王子様」にふさわしいなと思います。

 


聴いているハイレゾ
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
無伴奏チェロ組曲(全曲)
第1番ト長調BWV1007
第2番ニ短調BWV1008
第6番ニ長調BWV1012
第3番ハ長調BWV1009
第4番変ホ長調BWV1010
第5番ハ短調BWV1011
安田謙一郎(チェロ)
(マイスターミュージック MM-3053・54 flac192kHz/24bit)
※音源番号はCDのものと同一なので2枚組になっていますが、実際にはひとまとまりでのDLです。

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:リコーダーによる「無伴奏チェロ組曲」2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、昨日に続いてリコーダーによるバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏したアルバムをご紹介します。

さすがにこの第2集に収録された作品たちは移調しているみたいです。それでもなお、「組曲」というジャンルの特色である「舞曲集」という側面がしっかり出ているのもまた魅力的です。

リコーダーで舞曲が演奏できるのかと、驚きに満ちたアルバムだと言えるでしょう。私たち日本人なら、リコーダーは小学校から中学校にかけて音楽の授業で必ず吹かされた楽器ですし、もちろんそれゆえ単位に反映するものでもありました。そんな楽器で、舞曲が演奏できるって、本当にわくわくします!

これなら、わたしでも演奏できるかも!とか私も考えてしまいがちですが、まあ、できないことはないでしょうけど・・・・・バッハの無伴奏チェロ組曲、ですからねえ。しっかり勉強しなおさないと難しいでしょうね。しかも、どの材質を買うのか、ということもまた重要な点でしょう。え?リコーダーってプラスティックじゃないの?という、ア・ナ・タ。そもそもは木材ですよ、リコーダーって。つまりは木管楽器です。

そう、リコーダーは木管楽器です。ではなぜ日本ではプラスティックなのか?学校で使いやすいように、大量生産して安価で供給できるように、です。プラスティックなら成型してつければ完成、ですから。木製はそう簡単ではありません。半分にしてつけるにしても、穴はドリルなどで開けないと無理だからです。

どのリコーダーの演奏を聴いても感じることですが、たとえばソプラノリコーダーを例にとります。素朴さと暖かさを感じることが多いのです。所謂、学校でつかっていたソプラノリコーダーが放つ、多少キンキンした音が全く感じられないんです。そりゃあそうです、そもそも材質が異なるわけですから。

このアルバムでつかっているソプラノリコーダーがどの材質なのかは記載がありませんが、ほぼほぼ木材で間違いないでしょう。少なくとも、プロの方でプラスティック製を使われている方は存在しないと思います。であれば常識的に考えれば木製のを使っていると考えるのが自然でしょう。そもそも木管楽器なのですから。当然ですが、同じように演奏できないことは明らかなんです。わたしなりの「無伴奏チェロ組曲」にはなると思いますが・・・・・

それはそれで個性的だとは思います。ただ、もともとチェロのために作曲された作品に、いい要素が加わればいいですが、悪い方向になる可能性もあるので・・・・・とりあえず、やめときます。ただ、実は多少値が張ってもいいのでリコーダーは欲しいなあとは思っています。年を取れば声も出なくなってくるので合唱再開というわけにはいかなくなる可能性もあります。となれば、演奏する楽しみを得るには楽器しかないわけです。そんなときに一番手っ取り早いのは、かつて授業で習ったリコーダーになるわけです。

ですが、折角なら、木管楽器としてのリコーダーを吹きたいと思うのです。この素朴で慈愛に満ちた演奏には届かないでしょうが、その楽器が持つ音色を存分に楽しめるのは、やはり木製だと思うのです。この第2集には第6番のガヴォットなど、魅力的な作品がずらりと並んでおり、それをリコーダーで楽しめるなんて、なんて素晴らしいんだろうと思います。ちょっと演奏者に嫉妬している・・・・・かも。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
無伴奏チェロ組曲(リコーダー版)
組曲第4番変ホ長調BWV1010(ヘ長調に移調)
組曲第5番ハ短調BWV1011(ニ短調に移調)
組曲第6番ニ長調BWV1012(変ロ長調へ移調)
マリオン・フェアブリュッヘン(リコーダー)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:リコーダーによる「無伴奏チェロ組曲」1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回と次回の2回で、バッハの無伴奏チェロ組曲を取り上げます。とは言っても、通常の演奏ではなく、リコーダーによるものです。

バッハがリコーダーによるものを編曲をしたという事実はないんですが、意欲的な演奏だと思い、借りた記憶があります。リコーダー自体も、バッハが生きた時代はとてもポピュラーでした。

調性を変えずにそのままリコーダーというのも、これまた面白い点です。しかも、リコーダーだとさらに表情が付くのが魅力的。実際に演奏を聴きますと、さみしさや素朴さといったものが演奏からにじみ出ます。

バロックにおいて、組曲とは舞曲集を意味します。その舞曲それぞれにさらに素朴さだとかさみしさなどの表情が付きますと、なんといろんな表情を見せることか!バッハはそんな表情を作曲の時に仕込んだんじゃないかと思うくらいです。

今回聴いているのは前半第1番~第3番ですが、それだけでももう表情としてはチェロよりもさらに様々。演奏するのはマリオン・フェアブリュッヘン。あまり聞いたことのない演奏家ですが、しかし舞曲としてしっかりと「踊り」つつ、そこに素朴さが自然とにじみ出ているのはとても不思議かつ魅力的な演奏です。まるでバッハ自身が編曲したかのよう。けれどもこれはあくまでもフェアブリュッヘン自身の選択でしかありません。その選択がとても味わい深く、かつ楽しめるのは、これぞプロの仕事だと言えるでしょう。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
無伴奏チェロ組曲(リコーダー版)
組曲第1番ト長調BWV1007
組曲第2番ニ短調BWV1008
組曲第3番ハ長調BWV1009
マリオン・フェアブリュッヘン(リコーダー)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団によるシューマン交響曲全集2

東京の図書館から、2回シリーズで取り上げています、デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏によるシューマン交響曲全集、今回はその第2回目。第2集を取り上げます。

第2集と言っても、CD2枚目という形になりますが、番号順で第3番と第4番が収録されていますが、実は成立順で言えば最後の作品と2番目ということになります。

ja.wikipedia.org

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第4番は4楽章ありますがひとまとまりとして演奏されることが多く、私も面倒なので一つでリッピングしてあります。一方の第3番は5楽章。つながっていもいません。ただ、通常の交響曲というよりは交響詩と言っていいかもしれない側面もある作品です。

そんな二つですが、ジンマンとチューリッヒ・トーンハレ管は実に魅力的に演奏するんですよね~。これもすでに私が持っている演奏が霞むくらい。もちろん、すでにある演奏がダメというわけではないですが、シューマン交響曲を纏めて聴きたい!となると、多分この前週で事足りるような気がしています。

特に、スマホで聴くのなら、おそらくこの全集で十分かな、という気がします。もちろんPCで聴いてもグッド!それだけにテンポ感とか、歌うオケとかに全く不満がないんです。十分歌っているはずなのに、余計なぜい肉はそぎ落とされており、テンポ感も十分。おそらく、前期ロマン派の「音楽の美」というものはこういうものであろうと納得できるような演奏です。

こういう演奏こそ、プロの演奏で聴きたい演奏だ!と思います。なかなかこれだけバランスが取れていてしかも魅力的な演奏にお目にかかれることはないと思います。シューマン交響曲はともすればバランスが悪いと言われますが、それはもしかすると、ベートーヴェンのように、未来のオーケストラを見据えていたからかもしれません。その「行間」を掬い取ったかのようなジンマンとチューリッヒ・トーンハレ管の演奏、久しぶりに熱くなりました。

 


聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」
交響曲第4番ニ短調作品120
デイヴィッド・ジンマン指揮
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団によるシューマン交響曲全集1

東京の図書館から、今回と次回の2回に渡りまして、小金井市立図書館のライブラリであるデイヴィッド・ジンマン指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏によるシューマン交響曲全集を取り上げます。

ジンマンとチューリッヒ・トーンハレ管と言えば、ベートーヴェン交響曲全集を新ベーレンライター原典版でいち早く収録したコンビで湯有名ですが、そのこともあり、結構このコンビに関しては信頼している感があります。そのために借りてきたという面があります。

シューマン交響曲はすでに全集を図書館で借りてリッピングしてあるのが一つ、そして幾つかの演奏を買ってあるので一つと言った感じだったところに、さらにこの全集が加わった形になっています。そしてこの加わったものが、実は異彩を放っていると言ってもいいように思います。

この全集が新ベーレンライター原典版のようなスコアを使っているかどうかまでは、すでに資料を返却してしまっているのでわかりませんが、アプローチとしてシューマン交響曲解釈に見られるような過度なロマンティシズムや内省的な部分が薄いのが特徴です。

特にその傾向が顕著なのがこの第1集で、第1番はとにかく突っ走る!のに、まるで饒舌な歌を聴いているかのよう。ですので、単にテンポが速いとだけ感じるのではなく、そこかしこにカンタービレを感じるのです。一方の第2番。ともすれば、ほかの演奏だとむしろ疾走する感じもある中でむしろどっしりと歌い上げるという感じになっています。

この二つのコントラストが見事で、シューマンという人が前期ロマン派という時代に生きた人だったのだなと感じさせてくれる演奏でもあります。第1番と第2番と、番号順に収録されていますが、実際の作曲は第1番は最初ですが第2番は第3番目。その意味では、ジンマンは実はステディな解釈に勤めていることも浮かび上がります。それが全く違和感ないですし、しかもフレッシュ。

それゆえに、ぜい肉がそぎ落とされて、輪郭がはっきりと浮かび上がり、シューマンが目指したであろうロマンティシズムが浮かび上がってくるかのようにすら感じられるのです。聴いていて実に魅力的ですし、聴けば聴くほど惹きつけられます。

もちろん、今まで持っている演奏がダメというわけではないんですが、個性的というわけではないのに存在感が半端ないんです。それだけに私の中では一つ抜きんでている演奏です。

こういった演奏が聴けることがプロを聴くすばらしさでもあります。それが、税金だけでいいなんて、なんと素晴らしいことか!皆さん、なのでぜひとも図書館の資料は大切に扱ってくださいね。

 


聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
交響曲第1番変ロ長調作品38「春」
交響曲第2番ハ長調作品61
デイヴィッド・ジンマン指揮
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:宮前フィルハーモニー交響楽団第48回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和3(2021)年5月23日に聴きに行きました、宮前フィルハーモニー交響楽団の第48回定期演奏会を取り上げます。

このブログでも何度か取り上げているアマチュアオケである、宮前フィルハーモニー交響楽団。姉妹団体にいた私が自分のところの第1回定期演奏会で一緒に第九を演奏したところからの関係ですが、今ではその時に一緒だった人は役員へと引き、現場である演奏は新しい人たちばかり(クラリネットの重松さんのみ)になりました。最も、地域に根差すオーケストラであるわけですから、これでいいだと思います。ただ、一抹のさみしさはありますけれど。

そんな宮前フィルも、今年で30年。早いなあと思います。それと当時に、20数年前とは比べ物にならないくらい、アマオケとしては上手になったなあと思います。特に金管は今回エキストラなし!いやあ、これは素晴らしいと思います。弦パートにはエキストラも入っていますが。

それにしてもです、エキストラが入っていても、その音色がしっかり宮前フィルとしてある、のが素晴らしいんです。これは、オケ自体の演奏技量が上がっていないと、難しいんですよね。そうじゃないと、あれはエキストラが入っているからだよねといとも簡単にわかってしまうものなんです。それが宮前フィルには一切ないんです。これが素晴らしい!

それゆえなのか、今回はこんなアマチュアオケではあまりないプログラムが組まれたので、これは行かなければ!とはせ参じた、というわけです。

ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第3番
ブラームスシェーンベルク編曲)
ピアノ四重奏曲第1番

ラフマニノフは以前交響曲第2番を聴いていますので、それほど心配はしていませんでしたけど、お!っと思ったのがブラームスのピアノ四重奏曲第1番。この編曲はシェーンベルクが行っていますので、そのオーケストレーションは20世紀のものであって、ブラームスが書いた19世紀ではないんですね。

ある意味、宮前フィルらしくないなあと思ったのですが、団員が徹底して議論して決める宮前フィルが選択したのだから、何か理由があるはずだと思ったのです。それは当日プログラムを開いてみてわかりました。これは指揮者である河内先生の提案だったのだな、と。しかも河内氏は団員達に、「これはシェーンベルクの作品だと思って弾いてください」と何度も指導したとあります。それはそれで納得です。リストのベートーヴェン交響曲のトランスクリプションを、完全にベートーヴェンの作品だとしないとの一緒であるわけです。

おそらく、河内先生の頭の中では、このオケはもうシェーンベルクだって弾けるはずだけど、まずはトランスクリプションから入った方がいいかな、という思惑があったのだと思います。実際、演奏を聴きますと1プロであるラフマニノフよりもずっとのびのびと弾いているんです!

では、ラフマニノフが下手だったのかと言えば、むしろ逆。アマチュアオケで、これほど素晴らしい演奏を聴けることはほとんどないのではないでしょうか。例えば、東京のオケである、セラフィックさんとか、あるいはナデージダさん、あるいはダスビと比べて、宮前フィルの完成度の高さは抜きんでています。そのうえで、これら3つのオケ同様、アマチュアの熱い思いが反映もされています。

今、原稿を書くために保有する図書館で借りてきてリッピングしてある、ルガンスキーのピアノ、オラモ指揮バーミンガム響の演奏に比べてもそん色ないどころか、情熱はその演奏以上であることに気づきます。なんと素晴らしい演奏に出会えたんだろう!と驚きを隠せません。本来は欧州を拠点とするピアニスト、福間氏のピアニズムもまさに歌であり素晴らしい!確かにテンポ感という意味ではこのルガンスキーバーミンガム響のほうがいいですが、全体としては宮前フィルのほうが上であると断言してもいいと思います。

それはロケーションも一役買っているんだと思います。今回は同じ川崎で特別な時しか使わない、ミューザ川崎。何度か宮前フィルも経験しているホールです。ホールを楽器にするということがよく言われますが、まさしくその言葉の通りの演奏であったと思います。ブラームスシェーンベルクの世界へと生まれ変わった作品を存分に味わっており、格別!

特に聴いていて、これはシェーンベルクブラームスを評価していたからではないかと思ったのですが、プログラムにその点が書いてあるんですね。なるほど、いろんな視点から今回選ばれたんだなと思います。今後、宮前フィルがどんな曲を演奏するか、本当に楽しみです。次回の第49回は、ほかのアマオケでは取り上げても宮前フィルはなかなか取り上げてこなかったブルックナーですし、そして協奏曲はなんと!チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲!こいつは聴きどころですよ、ええ。これは万難を排して聴きに行かなければ!

で、欲を言えばです、宮前フィルなら、もうショスタコーヴィチも行けると思います。ぜひともダスビに続くレパートリーにしてほしいところです。

いや、ぜひともです、CDを出してほしいです、ええ・・・・・何ならハイレゾでもいいですよ。宮前フィルに集いし人たちの中には、そんな独自配信ができるエンジニアがきっといる、と信じています。

 


聴いて来たコンサート
宮前フィルハーモニー交響楽団創立30周年記念第48回定期演奏会
セルゲイ・ラフマニノフ作曲
ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30
ヨハネス・ブラームス作曲(アルノルト・シェーンベルク編曲)
ピアノ四重奏曲第1番ホ短調作品25(管弦楽版)
福間洸太朗(ピアノ)
河内良智指揮
宮前フィルハーモニー交響楽団

令和3(2021)年5月23日、神奈川川崎幸、ミューザ川崎シンフォニーホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:サリエリ 作品集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はサリエリの作品集を収録したアルバムをご紹介します。

サリエリと言えば、映画「アマデウス」で注目された作曲家ですが、音楽史で言えば、その「アマデウス」たるモーツァルトの才能を誰よりも評価し、ベートーヴェンを育てた教師としての才能が高く評価されている人です。

が、その作品も決して駄作などではなく、むしろ才能豊かな人だったことを証明しているのがこのアルバムだと思います。しかも、兄フランチェスコの作品も収録されている点も注目です。

というのは、サリエリは実は音楽一家の生まれなんですね。

ja.wikipedia.org

しかも、兄フランチェスコの影響も受けています。ある意味で、とても恵まれた家の出なんですね。そのサリエリが、条件的には悪くないかが、恵まれているとも言い難い、特にベートーヴェンを評価して育てたその視点は本当に素晴らしいと思います。

二つの協奏曲は本当にのびやかで、特にフォルテピアノのための協奏曲は、意外と工夫も見えて、ベートーヴェンはこういった「先生」がやっていることをさらに自分で磨き上げたのだな、と納得もする曲でもあります。

兄のシンフォニアは若干古風ですが、それでも古典派の作品にふさわしいのびやかさを持っており、これも聴いていて飽きない曲。それゆえにむしろ「刺激」がなかったんでしょう、ロマン派から20世紀半ばあたりまでは忘れ去られることとなります。その復興運動のきっかけになったのが、サリエリを悪者と仕立て上げた「アマデウス」だった、というのは皮肉です。

悪者としても、実は視点はサリエリなんですね、あの映画。となると、サリエリを悪者に仕立てたのは「あえて」という可能性も否定できません。実はサリエリの作品も素晴らしいものだけれども、モーツァルトには時代を先取りする先進性があり、それが現代の民主主義へとつながっている・・・・・その歴史的過程において、サリエリの評価を下げたのではないのか?という問いかけが実は隠されたテーマだったのではと、今となっては思います。

当時、ヨーロッパの音楽界が評価していたのはサリエリで、決してモーツァルトではありません。特に支配層ではその傾向が顕著でした。ですから、サリエリが人気に不満をもってモーツァルトを毒殺するなんて理由は見当たらないんです。むしろその逆のほうが自然だと思いませんか?なのに、なぜかあの映画ではサリエリモーツァルトを毒殺したかのように扱っています。そんなことありえないのに。それは、なぜ今モーツァルトのほうが評価されサリエリのほうが評価されないのかに直結しているように思います。

ソリストにスコダだど名だたる名前があり、指揮はシモーネなので、リズム感がとてもよく、のびやかで楽し気。それこそサリエリの作品の芸術だと思いますが、ベートーヴェン以降、音楽は重々しくないとという傾向がないでしょうか?そんなことはないはずです。音楽は人の魂を動かし、癒すもの。そのためには重々しいものも軽めのものも両方なければいけないはずです。しかし、ベートーヴェンを「楽聖」として神と祀り上げることから、音楽の楽しみ方が変容してしまったように私には思えるのです。

もちろん、ベートーヴェンの苦しみからいずるその音楽は素晴らしく崇高で、私の魂を癒してくれます。一方でモーツァルト、あるいはそれ以前のハイドンやこのサリエリと言った作曲家たちの作品も、仕事に追われ疲れて帰ってきた私にとって、清涼剤になり得る作品達ばかりです。ベートーヴェンばかりでは疲れます。確かに彼の音楽は心の、そして魂の友ですが。

そんな意識が、たとえばソリストであればスコダ、指揮者であればシモーネにあったとすれば、徹底的に喜びに満ち溢れている演奏は納得なのです。この演奏は軽めの仮面をかぶった、実はロケンローなのではないのか、という気がします。

 


聴いている音源
アントニオ・サリエリ作曲
ピアノフォルテ協奏曲変ロ長調
フルートとオーボエのための協奏曲ハ長調
フランチェスコサリエリ作曲
シンフォニア変ロ長調「海の嵐」
パウル・バドゥーラ=スコダ(ピアノフォルテ
クレメンティーネ・ホーゲンドルン(フルート)
ピエトロ・ボルゴノヴォ(オーボエ
クラウディオ・シモーネ指揮
イ・ソリスティ・ヴェネティ

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。