かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ビェロフラーヴェクがチェコ・フィルを振った「わが祖国」

今月のお買いもの、令和2(2020)年5月に買いましたものをご紹介します。今回はスメタナの「わが祖国」です。イルジー・ビェロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団演奏の、ハイレゾです。e-onkyoネットストアでの購入です。

CDではすでにスメターチェク指揮チェコ・フィルのものをもっており、好んで聴いていますし、図書館でもいくつか借りています。そんな中新たに加わったのが、このハイレゾです。

チェコの有名ホール、芸術家の家等のサウンドが、ハイレゾだとどのように聴こえるのかは前から興味がありましたし、また指揮者ビェロフラーヴェクの解釈にも興味がありました。e-onkyoでは各楽章の冒頭ちょっとだけ視聴できるのですが、「モルダウ」がいい感じだったので購入を決めました。

ハイレゾなので、その空気感はCDより半端なく、素晴らしい「音」です。しかしながら演奏は・・・・・悪くはありませんが、次点です。

やはり、断然素晴らしいのは、私の中ではスメターチェクです。同じチェコ・フィルで、語法が同じ部分もあるんですが、どこか詩的すぎるんです。もちろん、シンフォニック・ポエムですから、詩的でもいいんですが・・・・・ドラマがない。

「わが祖国」という連作「交響詩」は、単に風景を切り取っただけではなく、そこにドラマがあります。シャールカ、タボール、ブラニーク。この3曲は特にそのドラマティックさが前面に出ている作品ですし、「モルダウ」も風景と歴史描写を併せ持つ作品です。そんな中で詩的だけで演奏するのはどうもなあと、作品を初めて知った中学生の時からずっと思っています。

ですので、このビェロフラーヴェクの解釈には、同意する部分とそうではない部分とがあって、素直に首を縦に振れない私がいます。拒否するほどのものではないが、もう少しここは感情表現としてアクセントが欲しいだったり・・・・・そんなことが全体にわたって有るんですね。

テンポとかでもそれじゃないよなあと思うところでも、納得できるものがあればイッセルシュテットのように評価もしますし好みもするんですが、残念ながらビェロフラーヴェクにそれを見ることができなかったんです。ほかのスメタナの作品ではいい指揮もあるんですけれど・・・・・

もしかすると、肩に力が入ってしまったのかもしれません。祖国の風景と歴史をふんだんに詰め込んだ作品ですから、それは仕方ないかもしれませんが・・・・・その意味では、この演奏を聴けば聴くほど、スメターチェクという人の優れた才能を、評価せざるを得ないのです。それだけのプレッシャーがあった中、普遍的なメッセージを発し続ける演奏を残したのですから。

一番最初に買ったCDは、なんと幸せな出会いだったのかと、このビェロフラーヴェクの解釈を聴くと思うのです。ちょうど5月、本来なら「プラハの春」音楽祭が開かれる予定だった時期に買ったこのハイレゾ音源で、そう思ったのでした。

 


聴いているハイレゾ
べルドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」全曲
イルジー・ヴェロフラーヴェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(Decca UCCD-1461)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:室内楽によるヴィヴァルディのピッコロ協奏曲

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はヴィヴァルディのピッコロ協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

とはいえ、ヴィヴァルディのピッコロ協奏曲は以前も借りており、馴染み深いものなのですが、このアルバムは、オケではなく、室内楽による演奏だ、という点が特徴なのです。

今どき、録音であればマイクの位置でどうにでもなりますし、そもそも、ヴィヴァルディの時代、今の私たちが想像するオケの人数などいませんし、まだ出現していない楽器もあります。

ですので、オケと言っても室内楽程度だったはずなのですが、このアルバムではその歴史に基づき、モダンながらも室内楽程度の編成にとどめています。弦楽四重奏コントラバス通奏低音としてチェンバロが入っただけ、です。それにソリスト

全員で7名しかいません。おそらくイ・ムジチより小さい編成なのではないでしょうか。そんな編成では貧弱だと思うでしょ?ところがどっこい、むしろクリアで生き生きとしていますし、サウンドもしっかりしています。

ヴィヴァルディは協奏曲を主にアマチュア向けに作曲したというエピソードも伝わっていますが、そのエピソードを裏付けるかのような、見事な演奏です。

録音は今から40年ほど前なのですが、まるでそこにいるかのよう。もちろん、つかっているスピーカーがソニーのSRS-HG10であるということもあるかとは思いますが、本当に臨場感あふれるサウンドが眼前に広がっているのです。

こういう演奏はいいですね~。そして現在の状況でもコンサートが開催可能であることを示しています。喜ばしいことに、5000人以下のホールなら、シャウトしなければコンサートは開催可能となり、基本クラシックのコンサートに入場制限はかからないことになりましたが、もしもの時、こういった室内楽程度の編成なら、十分開催可能であることを、演奏で示しているともいえます。

常々、私はこのブログで「21世紀は、バロックが再来したような時代になる。ソリストが集まり室内オケ程度の団体を作り、後期ロマン派の交響曲などはそういったいくつかの団体が共同して演奏するようになる」と述べてきましたが、その通りの演奏なのです。生命力あふれる演奏ですが、ソリストが集まってアンサンブルしており、しかも違和感なし。これなら、いざソーシャル・ディスタンスを取らねばならなくなっても、十分いいサウンドが実現できるでしょう。

もちろん、この演奏はセッションである、という部分もありますが、そうだとしても、人数が多くいなければ協奏曲は演奏できないということはないんだということを見事に証明して見せた演奏だと思います。こういう演奏に40年ほど前に取り組んでいた海外。翻って、日本はどうだったか・・・・・

いまやっと、少ない人数だと、バロック的にならざるを得ないことを、認識し始めているのではないでしょうか。オケが今後どのような姿になっていくのかは、こういった演奏がどれだけできるかにかかっているのではないかと思っています。

 


聴いている音源
アントニオ・ヴィヴァルディ作曲
ピッコロ協奏曲ハ長調RV433
ピッコロ協奏曲イ短調RV445
ピッコロ協奏曲ハ短調RV441(原曲:フルート協奏曲)
ピッコロ協奏曲ハ長調RV444
ハンス・ヴォルフガング・デュンシェーデ(ピッコロ)
ヴォルフガング・ギュッター(コントラバス
元井美幸(ハープシコード
フィルハーモニア・クァルテット・ベルリン
 エドゥアルト・ジェンコフスキー(ヴァイオリン)
 ワルター・ショーレフィールド(ヴァイオリン)
 土屋邦雄(ヴィオラ
 ヤン・ディーセルホルスト(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:フランクの「ピアノ協奏曲」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はフランクのピアノと管弦楽のための作品集をとりあげます。

このブログでも何度か登場しているフランク。フランス後期ロマン派の作曲家ですが、その活動時期から、ドビュッシーとは音楽的に対立しています。

そんなフランクですが、ピアノと管弦楽のための作品をいくつか残しています。このアルバムではその中でも特に有名な3曲に絞って収録されています。

先ずは第1曲目「交響的変奏曲」。実は不思議なことに、「フランク ピアノ協奏曲」と検索すると交響的変奏曲がヒットします。むしろフランクが残した2つのピアノ協奏曲はどこ行った?という感じなのですが、ウィキではひとまとまりで解説されています。そのせいなのだろうと思います。

ja.wikipedia.org

晩年の作品で、調性感はあるのですが、構成として、途中から始まっているのかな?と思うような開始なのです。この辺り、存分に同時代の新潮流である印象派象徴主義と言ったものを意識しているようにも思います。

同様の作品が、交響詩ですがピアノ協奏曲的ないわゆる「幻想曲」としても色彩が強い作品の「魔人」。「鬼神」とも表記されるこの作品は交響的変奏曲の前年に書かれた作品で、むしろこの魔人のほうが一層調性感から外れる感覚を持ちます。

一方で、最後に収録されているピアノ協奏曲第2番は、作曲が1835年と、交響的変奏曲の1885年、魔人の1884年に比べれば50年も前の作品。後期というよりはむしろ前期ロマン派と言っていい時代の作品なのです。そのためか古典的な印象すら覚える作品ですが、堂々とした全体像がとても魅力的。一時期はコンクールでの定番曲だったそうな。

実は、フランクはピアノ協奏曲は2つ作曲したのですが、第1番は紛失し、残っているのは第2番だけとなっています。第2番の前年1884年に作曲されているので、おそらく同じように古典的雰囲気をもった作品だったのではないかと想像できますが、実際はどうだったのでしょう?興味は尽きません。

演奏は、ソリスト一人と指揮者はフランス、ソリストもう一人とオケがオランダという組み合わせ。指揮は天才ロベルト・ベンツィですが、私自身は初めてそのタクトから紡ぎだされる音楽を聴きました。デモーニッシュな部分もある作品をそのまま勢いで演奏させている中で、ソリストたちは細かく歌い続けるのが味わい深いというか、聴いているうちに静かに魂が震えてくる、という演奏なのです。

はじめは、特に1曲目と2曲目の構成に面喰ったのですが、聴いているうちに自然な感じになってきて、深いロマンティシズムの中に自分がいます。いやあ、さすが。フランクいいよね!と実はドビュッシー大好きな私も拍手してしまいます(もちろん、ドビュッシー存命だったら破門でしょうけどw)。

特にピアノ協奏曲は絶品!堂々たる所信表明のような感じから引き継がれるロマンティシズム。ドイツに比べて精神性が・・・・・とか言っている人は、とりあえずこのアルバムを聴いてみてはいかがでしょう。自分が正しいと思ってきたものがひっくり返るのに驚くはずですし、そのひっくり返されるのが爽快だと思うのではないでしょうか。

 


聴いている音源
セザール・フランク作曲
交響的変奏曲
交響詩「魔神」
ピアノ大協奏曲第2番ロ短調作品11
フランソワ=ジョエル・ティオリエ(ピアノ、「交響的変奏曲」「魔人」)
マルティン・ファン・デン・フック(ピアノ、協奏曲)
ロベルト・ベンツィ指揮
アルンヘム・フィルハーモニー管弦楽団

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東京の図書館から~府中市立図書館~:福永陽一郎が振る日本の合唱曲集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリをご紹介します。福永陽一郎が振る日本の合唱曲集のアルバムです。

クラシックを好んで聴いている人にとっては知らないことが多いのですが、じつは名指揮者であるのが福永陽一郎です。オペラが好きな人は、かろうじて藤沢市民オペラで知っていらっしゃる方もいるかもしれません。

ja.wikipedia.org

特に情熱的な指導で有名で、アマチュア合唱界では知らない人はいないくらいです。私は指導を受けたことはありませんが、それでも福永氏の名前は知っていました。貧乏合唱団で、かつ、つてもないので、福永氏に指導してもらうなど、考えられないことでしたし。

では、そんな憧れでこのアルバムを借りたのかと言えば、そうではありません。きっかけは二つ。まずは数年前に、ある「会」の仲間に誘われて、六大学合同の合唱コンサートを聴きに行き、その時に聴いた法政大学アカデミー合唱団(このアルバムの2曲目を歌う合唱団)の演奏を聴き、その時その仲間から福永氏のエピソードをたくさん聞いたこと、そしてもう一つは、これも3年くらい前ですが、朝NHKFMの「ビバ!合唱」という番組を聴いていたら、流れていたのが福永氏が指揮する「伊勢志摩」が流れていたこと、です。

まさにその放送で流れていたのが、このアルバムの演奏なのです。小林秀雄と言えば、有名なのは「落葉松」。実はわたしもそれしか知らなかったのですが、紹介されていたのがこの第1曲「伊勢志摩」だったのです。

小林秀雄伊勢市にゆかりがある人で、幼少期を伊勢で過ごしています。そんな縁もあって作曲されたのが「伊勢志摩」だと言われています。

ja.wikipedia.org

あ、クラシック好きな人の中には、評論家のほうと勘違いするかもしれませんが、じつは別人なのです。検索するときは、人名の後に「作曲家」とつけないと、評論家のほうがヒットしますのでお間違えなきよう。図書館などで調べるときも、同姓同名なので注意が必要です。

伊勢志摩をテーマにしているわけだから、さぞかし国家主義なのだろうと思ったら大間違い。むしろ伊勢志摩に対する風景や心象からの讃歌となっており、国家主義は少なくとも歌詞からは見受けられません。たしか、番組ではそういったものとは距離を取って作曲をしたというエピソードが紹介されていたように記憶しています。実はそういう点でも、借りてみたいと思ったのでした。

続く新実徳美の作曲「幼年連祷」。幸いながら、「伊勢志摩」と違いネットでも歌詞が出ていますので、「伊勢志摩」よりもわかりやすい作品だと思います。詩人自身の幼年時代を詩にしたものと言われており、それを新実が合唱組曲にしたものです。

ja.wikipedia.org

あえて言いますが、NHKはいろいろ言われますが、合唱組曲は海外でも評価の高い芸術ジャンルで、その創作や広く知られるためにNHKの学校音楽コンクールが果たした役割は多大なものがあります。新実のこの作品もそんな一つであり、しかも詩人は女性。日本の誇りともいうべき作品です。

そして最後が、池辺晋一郎の「冬に向かって」。美しい風景を描いた作品で、アンサンブルの美しさが妙である作品です。

ajchor.music.coocan.jp

その美しさを素直にめでるというか、感じるというか、その感受性のみずみずしさが味わえる作品でもあります。

さて、演奏は2曲目までは大学合唱団。「伊勢志摩」が岩手大学合唱団。「幼年連祷」が法政大学アカデミー合唱団。ともに福永氏が携わった団体で、特に法政大学アカデミー合唱団は福永氏がまるでオーケストラビルダーのように鍛え上げて実力をつけた合唱団でもあります。この録音では特に岩手大学合唱団の素直な発声が魅力で、歌詞がネットに上がっていない「伊勢志摩」も結構歌詞が聞き取りやすい演奏。一方の法政大学アカデミー合唱団は、若干聞き取りにくいのですが、それでも素直な発声に近づけようという意識は、結果として歌詞がわかりやすいことにつながっています。

圧巻は、最後の「冬に向かって」。これは福永氏が携わった3団体合同での演奏。晋友会でもそうですが、指導者が共通というのはある意味同じ言語を使っているようなもので、アンサンブルが楽なのです。そのアドヴァンテージを使って力強いアンサンブルとアインザッツで生命力のある演奏が魅力。単に美しさだけではなく、そこに人間の精神を反映させている演奏となっており、さすが福永氏の指導だと思います。

福永氏が残した録音は数多くあるのですが、それがCDとして現在まで出版されているものは少ないように思います。ぜひとも時代に合わせて、ハイレゾで再販してほしいなあと思うのはわたしだけなのでしょうか・・・・・特に、この音源、府中市立図書館の司書さんにしては珍しく仕事がいい加減で、合唱団の記載が最後の「冬に向かって」の合唱団だけになってしまっているんですよねえ。せっかく法政大学が小金井にあるのですから、その点はいい加減にしてほしくなかったなあと思います。そんなこともあり、こういった優れた演奏の記録は、ぜひともアーカイヴして、ハイレゾとしてDLできるようにしてほしいものだと思います。サーバーならそれほど場所も取りませんし・・・・・

意外とそういう視点は、出版側にないんですよねえ。

 


聴いている音源
小林秀雄作曲
混声合唱組曲「伊勢志摩」(作詞:峯陽作)
新実徳実作曲
混声合唱組曲「幼年連祷」(作詞:吉原幸子
池辺晋一郎作曲
混声合唱組曲「冬に向かって」(作詞:髙田敏子)
福永陽一郎指揮
岩手大学合唱団(伊勢志摩)
法政大学アカデミー合唱団(幼年連祷)
湘南コールグリューン
藤沢男声合唱
小田原男声合唱
(合同)(冬に向かって)
久邇之宜(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:スーパーマリンバ

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリをご紹介します。マリンバの演奏を集めたアルバムです。題して「スーパーマリンバ」。

え?マリンバってどんな楽器なんですか?っていう人も多いと思います。簡単に言えば、木琴です。

ja.wikipedia.org

昔、これを私は単に「木琴」とだけしか習わなかったのです。なのでマリンバという名前を聴いたとき、私もなにか新しい楽器が出てきたのかと勘違いしたのですが、そもそもオーケストラなどで使っている私が「木琴」とならった楽器こそ、マリンバであり、木琴はマリンバも含めたものを言うということを、大人になってから知ったのです。

いずれにしても、木琴はわたしにとってリコーダーと同じくらいなじみのある楽器で、実家にあった楽器の一つです。我が家はリコーダーこそ学校で買わされた楽器ですが、自前で買った楽器として、父が持っていたハーモニカと、私が買ってもらった木琴があったのです。それでセッションするとかはなかったですけれど、残念ながら父にそういう習慣がなかったもので、ひたすら私一人で叩いていました。

高校生の時、じつは進路として音大も出ていたのです。もちろん我が家はずっと音楽をやってきたわけではなかったので、私立は無理。ですから国立(ということは東京藝大ですけれど)です。母が指揮者の岩城宏之氏は打楽器で入学したんだから、勉強さえできれば行ける、と。しかし実際には歴史学の方を選択して中央大学へと進学したのですけれど(ですので、金額とかが理由ではありませんでした)。

ですので、マリンバは実に懐かしい楽器であり、音色だといえます。そんなアマチュアでも簡単に音が出せる楽器ですので、当然プロであればさらに上の表現力が求められるのは当然だといえます。ですので、「スーパー」をつける必要はあったのかなあと思います。もちろん聴けば素晴らしい表現力なのですが、それはある意味、特急スーパーあずさと変わらない、ともいえます(JRの「スーパー」がつく特急は必ずしも何か特別だったわけではないですので)。

ではこのアルバムの聴きどころは何かと言えば、その素晴らしい表現力で、必ずしもマリンバのために作られたわけではない作品を弾きこなし、表現している部分だといえます。クレジットしておきますが、ここに収録されている作品のほとんどがマリンバのために作曲された作品ではありません。しかし、安定した技術を優れた表現力として現出させているソリスト高橋女史の、これぞ歌うマリンバだと思うのです。それは原曲を超えた部分すらあります。もし「スーパー」というのなら、その原曲を超えたという点でこそ言えるのではないでしょうか。

ピアノは羽田健太郎なので、おそらく彼が編曲したのかなと思いますが、とにかく素晴らしい表現に、つい聞き惚れてしまいます。打楽器ですから打点も強くゆえにリズミカルにもなりますが、かといってタンタカとはいかず、アコーギクもあり、カンタービレマリンバでなじみのある熊蜂の飛行や「剣の舞」もエネルギッシュ!

マリンバという楽器の奥深さを存分に楽しめるアルバムだと思います。カバレフスキーの「道化師のギャロップ」は小学校の運動会徒競走でおなじみの音楽ですが、私はこのアルバムの演奏で初めてこの曲の囚われが無くなりました。なぜなら、私は徒競走常にビリッケツだったからです・・・・・

 


聴いている音源
①ハンガリアン・ラプソディ(ホッパー)
②熊蜂の飛行(ニコライ・リムスキー=コルサコフ
③道化師のギャロップカバレフスキー
④ラ・カンパネラ(フランツ・リスト
ツィゴイネルワイゼンサラサーテ
⑥おもちゃの兵隊の行進(イェッセル)
トルコ行進曲(ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト
フィドル・ファドル(ルロイ・アンダーソン
⑨中国の太鼓(クライスラー
⑩剣の舞(ハチャトウリャン)
⑪火祭りの踊り(ファリャ)
高橋美智子(マリンバ
羽田健太郎(ピアノ、③・⑥・⑧・⑩)
山口多嘉子(伴奏マリンバ、④・⑧)
高橋美智子マリンバ室内楽団(②・⑦・⑨・⑪)
 高橋美智子
 山口多嘉子
 藤城佳之
 松倉利之
針生惇(パーカッション&マリンバ、③・⑩・⑪)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集11

今月のお買いもの、令和2(2020)年5月に購入したものをご紹介しています。シリーズで取り上げているファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の今回は最後の第11回目です。

第30番から第32番までの3曲は、ピアノ・ソナタというジャンルの中で、ひとつの頂点を迎えた作品達だと言ってもいい作品達ですが、その作品たちをいとおしく、かつ自在に肩ひじ張らずに表現し続けるサイのピアニズムは、少なくとも私が持っているベートーヴェンのピアノ・ソナタの全集の中でもトップクラスだと言っていいでしょう。

もちろん、音質的にもハイレゾであるということもありますが、やはり注目点は演奏であり、その表現だと思います。第32番の第2楽章はジャズのようだと形容される部分ですが、決してジャズとして弾いているわけではなく、しかしジャズ風にも聴こえつつ、もっと言えばポップス的な印象を受けつつも、そこには青空が広がり、精神の開放が歌われているかのよう。

決してクラシックという範疇から出ることなく、しかしクラシック以外の音楽と聴こえるような演奏であり、そこにはサイのバックグラウンドに一体どんな音楽ジャンルがあるんだろう?と想像してしまう、まさにかっこいいのに対話する音楽でもあります。

もう、一言で言えばあっぱれ!なんです。第1番から第32番までを聴いてきて、これはほかのピアニストのほうがいいかな、と思うような演奏が一つもないんです。そこにはサイの個性がちりばめられ、1曲で万華鏡のようですがその一つ一つの作品が全集として万華鏡のようにキラキラしています。美しいですが決して外形的でもなく、そこにはしなやかかつ強靭な精神を感じるのです。

僕も自在に弾くから、あなたはそのままでいい・・・・・そんな声が聞こえてくるかのような演奏であり、表現なのです。これはわたしにとって、勇気を与えられる演奏です。自分らしく生きていいんだ・・・・・サイにそう応援してもらえているようにすら聴こえるのです。少なくとも、スマホにはこの全集以外を入れる予定を立てていません。これで十分なんです。

もちろん、今まで聴いてきた全集の存在価値がなくなるわけではなく、時にはほかの全集も聴きたくなると思います。しかしこの全集が基礎というか、カジュアルに聴くのはこのサイのものであることはもう間違いありません。私の中では絶対のものとなりつつあります。

今まで聴いてきた演奏を廃して新しいものが私の中で置き換わる・・・・・おそらく、あまりない例だと思います。そんな私の魂を動かしたサイの才能は、もっと多くの人に聴いてほしい演奏です。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
ファジル・サイ(ピアノ)
(Warner Classics)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:バルトーク 組曲第1番と第2番

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はハンガリーの作曲家バルトークが作曲した組曲第1番と第2番を収録したアルバムをご紹介します。

ちょこちょここのブログで登場するバルトーク。実は結構好きな作曲家だったりします。バルトークが生きた時代は不協和音バリバリの和声がメインストリームでしたが、バルトーク自身は旋律線も調性も大切にした作曲家です。

その一方で、ドイツ的なものからは脱却し、ハンガリーらしさを民謡採集から追求したのもバルトークです。その時には甘い旋律はとても魅力的。なのでこれもヘビロテしてしまいます。

特に、この組曲第1番と第2番は、まだ後期ロマン派の影響が強い作風の時代ですが、その後民俗的音楽へと移行した後に校訂をしており、後期ロマン派と一刀両断するには複雑な音楽がそこにはあります。ゆえにその複雑さがまるで万華鏡のようにキラキラしており、たまりません。

ja.wikipedia.org

バルトークの作品を好むようになったのは、私は社会人になってから、しかもある程度年齢を重ねてから、です。バルトークは不協和音バリバリだと思い込んでいたのです。しかし実際のバルトークの音楽はそうではなく、むしろとても親しみやすい音楽です。その親しみやすさの中に、ひょいと内面性、精神性が紛れ込んでいます。そのピリリとしたアクセントがたまらなく好きです。

この組曲二つも、時期的にはまだバルトーク・スタイルが確立する前の後期ロマン派の香りがする作品であるにもかかわらず、泥の中に咲く蓮の花のように、泥臭さと美しさが同居する音楽です。こういう作品、本当に好きなんです、私・・・・・

指揮者は第1番がフェレンチクでハンガリー国立管、そして第2番がエルデーイ指揮ブタペスト響、録音年代はともに60年代半ばから後半と、ハンガリー動乱以降、西側でも評価されるようになるオケや指揮者により演奏されているのは皮肉のような気もしますが、実に生き生きとしているのも魅力的。歌う歌う歌いまくる!そもそも組曲ですから、バルトークはどこか舞曲として作曲している感覚があったと思いますし、実際に舞曲とみられる部分は随所にあります。それを反映した生命力ある演奏は、私自身の日本人としての「踊る感覚」を目覚めさせてくれます。

そんな演奏ができるオケや指揮者が、社会主義の中で出るわけがないと、祖国への埋葬を拒否したバルトークですが、この録音は実にステディかつカンタービレしており、どんな政治スタンスであろうがバルトークという作曲家がハンガリーの芸術家たちから尊敬を受けているかを良く表している録音だと思います。もう20年バルトークが生きていたら、一体どんなコメントを出しただろうかと思います。

 


聴いている音源
バルトーク・ベラ作曲
組曲第1番作品3、Sz.31
組曲第2番作品4、Sz.34
ヤーノシュ・フェレンチク指揮
ハンガリー国立管弦楽団(第1番)
ミクロ―シュ・エルデーイ指揮
ブタペスト交響楽団(第2番)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。